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早速行ったよ「カセットテープ ダイアリーズ」言いえて妙な邦題!(ネタばれちょっと)

 えっ?! ボスことブルース・スプリングスティーンの曲が流れて、舞台はイギリス? これは、もう観るしかないじゃないの! と言うわけで、封切の翌日に行ったよ。「カセットテープ ダイアリーズ」。
 ずっと前に読んだブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」というバイオグラフィに、彼のニックネームは「ブルーシー」と書いてあり、私はずっとそう呼んできたので、ここでも彼のことをそう呼ばせてもらうね。
 そのブルーシーもイギリスも大好きな私は、たいした予備知識もなしに、映画館の椅子にすとん、と座ったわけ。
 時は、1987年。パキスタンから移民してきた家族の息子ジャベドは、差別されたりしながらも、毎日日記や詩を書いて暮らしてる。大学に入って、同じ人種の友達が出来、彼からブルーシーのカセットテープ二本を、
「これ最高なんだぜ!」
 ってな感じで手渡される。87年の香りたっぷりシェイプのウォークマンにカチャっとテープをセットすると・・・。
 ジャベドの人生を変える音が飛び出してくる。ブルーシーの歌う、
「このまま終わっていいのかい? ダメだろ? 現実を打ち破り、走り出すんだ!」
 と言うような歌詞全部が、脳に心に身体に刺さり、どんどん自己肯定感がアップしていく。 周囲の心ない人たちから蔑称である「パキ」と呼ばれ、悔しい思いをしつつも、じっと耐えるしかない毎日。お父さんからも、移民して来たんだから周囲と揉めず、実直に働き、家族に従え、と言われる。あくまでも、波風立てず無難な生き方をしろ、と。自分は、パキスタンから一旗あげようと高い志を持って、海を渡って来たというのにね。それが受け入れられなかった絶望感から、良かれと思って息子にアドバイスしてるんだろうけど。
 前半は、ブルーシーの曲の最も良い部分をピックアップして、ちょっとミュージカル風な映像に仕上げたりしていた。ジャベドが歌いながら、ストリートを駆け抜けるシーンは、歌詞の和訳とセリフの訳で、スクリーン一杯「字幕祭り」になったりして、そういう軽いタッチの作品なのかー、とちょっと気を緩めたりもして。
 ところが。中盤から、がぜん前のめりになっちゃった。ブルーシーの曲に彩られたこの作品は、実は父と息子の深―いストーリーなんだって気づいたから。それが、ブルーシー本人の父子の物語とオーバーラップしてくるから、もうどんどん入り込んじゃって。そのことは、また後で書くとして・・・。 
 大学で経済学を学ぶはずが、ジャベドの書く才能を理解し、認めてくれる素敵な先生と出会い、ますます書くことが好きになっていく。先生があるコンテストに作品を出してくれたのだけど、これがびっくり、入賞する。副賞は、なんとブルーシーのホームタウン、ニュージャージー、アズベリーパークにある大学への訪問。あまりにも出来すぎた展開に、ちょっと笑っちゃったけど、(でも実話を元にしているとあるから、本当かも。だとしたら、なんて運命的)喜んだ一瞬の後に、ジャベドの顔がふっと曇って、
「…僕は、行けない」
 と呟く。父親のことを考えて反対されると思ったんだよね。私が、強く感情移入しちゃったのは、ここ!!
「ダメだよ! 行かなくちゃ! 絶対行って!」
 怒りにも似た気持ちがわいて来た。ここが、ジャベドの人生の分かれ道だって、過ぎて来た身には、はっきりとわかるから。親の反対に打ち勝てずにかしづいちゃうと、その後の人生、全部そのせいにしちゃうから。
 私の心配をよそに、ジャベドはお父さんと言い合いをしつつも、アメリカに渡るんだけど、ここも涙無しには観られない。
 ブルーシーを教えてくれた友人も一緒に行って、「聖地巡礼」をする。ブルーシーが育った家、初めてライヴを行なった場所などなど・・・。実は、私も遠い昔に、同じことやったことを思い出した。まだネットがない時代、とにかくアズベリーパークまで行こう、とニューヨークから列車に乗って行ってみた。雨の日だったな。駅に着いたは良いけど、それからどうしていいかわからずに、駅構内にいたおじいさんに、
「アズベリーパーク、どこですか?」
 と聞いたら、
「アズベリーパーク、ここだよ」
 って笑われたっけ。そもそも駅名が「アズベリーパーク」なわけだから。
「えーと、そうじゃなくって。アミューズメントパークみたいな・・・」
「あー、そっちね」
 と親切に教えてくれたけど、映画にも、パークのシンボル的存在のメリーゴーランドの小屋も映っていて懐かしかったし、本当にジャベドたちがアズベリーパークに行けて良かった、と思った。
 最後、お父さんと和解して、ジャベドが望む書くという道を応援してくれるようになり、ハッピーエンド。そのきっかけは、アメリカから帰国後に催されたジャベドがスピーチするイベントに、お父さんを含む家族が来たこと。連れて来てくれたのは、差別なんかはねのけちゃうとっても強いガールフレンド。遅れてやって来た家族を、ステージで本番中気づくジャベドは、一瞬言葉に詰まり、一度はスピーチを止めてしまおうとする。それくらい、お父さんのことがプレッシャーだったんだろうけど、思いの丈を口にすることが出来たからこそ、理解してもらえて、次のステップに行けたわけで。
 ストーリーと直接関係ないのに、私はこのシーンでも、ぼろ泣きしちゃった。なぜなら例の友達が、スピーチ終了後に一人だけスタンディングオベーションして、気も狂わんばかりに拍手してたから。こんなふうに、友達のことを素直にほめたたえることが出来て本当に素敵だなと思ったのと同時に「LA  LA LAND」の似たようなシーンを思い出しちゃったから。実際はそうならなかったけど、もしそうなっていたら? とパラレルストーリーのシーン。賛否両論あるところだけど、女優志願のエマ・ストーンの一人芝居の終演後に、やっぱり客席で一人で立って、思いっきり手を叩いている恋人のライアン・ゴズリング。事実は、公演に間に合わなくて、それも別れる原因となってしまうんだけど、その純粋な拍手は、かえって涙を誘う。それを思い出しちゃった。
 ブルーシー父子のことを、書こう。映画の父と息子は和解するけれど、ブルーシー本人はそうじゃないんだな。二、三年前に「ボーン トゥ ラン」という上下巻のものすごく厚い自伝を読んだことがある。お友達が貸してくれて、あまりの厚さにちょっと腰が引けたけど、読んだら衝撃が大きかった。
 あんなに元気ですくすく育ったような笑顔が出来るブルーシーなのに、実はお父さんと深い確執があり、ブルーシー自身も心の病と闘っていて、ずっと服薬していると書いてあった。知らなかった。初めて告白した、とも書いてあったから、それまであまり公にはされていなかったのだと思う。ジャベドはお父さんと理解し合えたけど、ブルーシーは、そうではなかったんだと思うと、また別の感情がわき上がってくる。それでも、その悪しき鎖を断ち切って、世界中の人たちを元気にする曲をたくさん送り出してくれたことには、本当に頭が下がるよね。だって、いくらでもくさって、自暴自棄になってもおかしくないもの。私も、ずいぶんと元気づけてもらった。道に迷った時も、ブルーシーの曲で何度救われたことか。それを思うと、なおさらにジャベドを応援したくなる。それと、本を貸してくれたお友達にも、感謝だ。
 原題は「BLINDED BY THE LIGHT」。ブルーシーのデビューシングルで、邦題は「光に目もくらみ」だよ。これでは、熱烈なファンはピンと来るけど、そうじゃない人には、ちょっと何も響かないと思う。そこへ「カセットテープ」という時代を感じさせるアイテムを出して、ジャベドがいつも書いているダイアリーと結びつけたところは、お見事。邦題をつけるのは、とても難しいと思うけど、この作品はかなりストーリーを言い表していると思う。1987年には、もうCDはあったけどCDウォークマンが普及するのはもっと後で、主流はカセットテープのウォークマンだったんだね。
 ブルーシー初来日は、1985年。代々木体育館5DAYSだったんだけど、お金無くて二日しかチケットが買えなかった。本を貸してくれた友達とあとの三日は会場の入り口まで行って、漏れ聞えて来る曲を「外聴き」してたな。大好きな「BECAUSE THE NIGHT」(当時はアルバムに入っていなかった。パティ・スミスにプレゼントした曲だったし)を「外聴き」の日に歌ったんだけど、あ~中で聴きたかったよ~と地団駄を踏んだ懐かしい日々。
 ジャベドも40ポンド出して、ウェンブリー・スタジアムでの、ブルーシーのライヴチケットを二枚買うんだけど、お父さんに破られちゃう。これは、音楽に稲妻落とされたことのある身にとっては、とてつもなく辛いシーンだった。けれども、モデルとなった実在の男性は、その後百回以上もブルーシーのライヴに行き、ブルーシーと写真まで撮ってるから、今となってはもう「ちゃら」になってるのかな? いやいや1987年のウェンブリースタジアムは、その時だけのナマモノだから、やっぱり見たかっただろうと思う。
 ジャベドとブルーシーと自分の色々な思いが交差して、つけていた布製マスクが湿ってしまうほどに、涙が流れすぎちゃった。なので、客観的に語るのは、ちょっと無理。・・・でも、そもそも映画はいつでもとても私的なものでもあるから、どうか許してね。
 

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