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スナフキンが教えてくれた“今の自分のままでいい”という気持ち

まだ二十代だった時のこと。

大学時代の友人と久しぶりに会うために出掛け、午前10時に待ち合わせ場所で再会。それから10時間、食事もせずにあちこちを走り回り買い物をする友人に同行し、夜の20時に友人の彼氏が迎えにきて解散。帰りの電車の中で昼も夜も食事をしてないことで低血糖になり倒れてしまい、途中の駅まで父に迎えにきてもらったことがある。

今では家族の笑い話であるが、低血糖症の私がよく飲まず食わずであれだけの長い時間を友人の買い物に同行してあちこち走り回ったものだと、思い返すとちょっとゾッとしたりしている。

二十代の頃の私は同世代の女性たちの買い物や遊びに付き合って、彼女達の様々な話の聞き役に徹して楽しんでいた。
きっと、「え、それって楽しんでる?」と思われるだろうが、“自分とは違う世界”に生きる彼女たちの話を聞いて、自分なりに大きな刺激を受けて、モチベーションを上げていたのだ。

というのも、私は十代の頃から天然の母の面倒を見て、あらゆる家事に追われ、二十歳を過ぎてからは祖母の介護も加わって、父と二人、仕事と家事と介護で毎日駆けずり回っていた。ほぼ職場と家の往復で、心身共にまったく余裕のない生活をしていたものだから、母がわがままを連発して困り果て途方に暮れている時などは、自分は何のために生まれたのだろうと考えてしまうこともあった。そんな、自分の生き方の"何か"を変えたくて、あえてアクティブな友人達と交流し、生きるヒントをもらおうとしていたのだと思う。同世代の女性の天真爛漫な明るさやバイタリティあふれる行動を目の当たりにして、私も彼女達みたいなアクティブな人に“なろう”と努力していたのである。

その後、20代の後半にエレイン・N・アーロンさんのご著書と出会い、"HSP気質"という存在を知って、30歳で自律神経失調症、33歳で婦人科系疾患を抱えて、健康を取り戻すために心と身体に向き合い続けて、6年目の冬にはたと気付いた。

自分の気質に合わない自分像を構築していくことは、結果的に自分の心身をいじめることに繋がっていたのではないかと。今の自分のままで生きて良いのだと。

私は明るい人ではないし、楽しい人でもない。騒がしいのは嫌いで、群れるのも苦手だ。ぐいぐいと積極的な人にはたじたじするし、型にはめられると窮屈になる。そういう自分を押し込めて、明るく楽しい人、アクティブで社交的な人という真逆な性格になろうと試してみていた訳だから、元々の自分の性格を否定し続けて心身が辛くなるのは当然の結果だったのだ。

ムーミンシリーズの『ムーミン谷の仲間たち』に、

「あんまり誰かを崇拝すると本物の自由はえられないんだぜ」

という、スナフキンのセリフがある。
確かに、誰かを目標にしたりすると、その”誰か”に近付くために、自分とその”誰か”の相違点ばかり探してしまい、その相違点を自分の欠点だと思ってしまう。”誰か”に囚われ過ぎると、本来の自分までも見失ってしまう。

私も“今の自分のままで良い”と思えた時に、心が楽になった。
同級生たちのような天真爛漫でバイタリティ溢れる人になるという目標を捨てたことで自由になれたのだ。

今の自分のままでいい。
繊細な自分のままがいい。

身体を壊してから6年目で気付いた、自分の心と身体を楽にしてくれた考え方。



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