見出し画像

夢と京都の友人

“夢っていうのはな、どうせ叶わへんと思ったら叶わへん。もしかしたら叶うかも、と思っただけでも叶わへん。絶対に叶うわ、という強い引きを持っていれば、時期は直ぐでないかもしれへんけど必ず叶うものなんやで”



『なに、当たった!? minneのハンドメイドマーケットの抽選倍率ってどのぐらいなんや』

電話口から京都の友人の素っ頓狂な声か聞こえる。

「倍率はよくわからないけど、応募したまま父や母のいろんなことに忙殺されて抽選日を忘れていたのよ」
『そんなこと早いうちにうちに言ってもらわへんと、休み取れへんやん』
「だって、12月の話だよ。まだ7月なんだから5ヶ月も先だし、休みぐらい取れるじゃない」
『何を言ってはるの、うちの手帳は予定でいっぱいなんや!どこかの予定を別のところに移動せなあかんやろ、どないしよか』
「芸能人の分刻みのスケジュールじゃないんだから」
『うちの予定は分刻みなんや!』

予想外の当選。
体調が悪くてメンタルが最低に落ち込んでいた時に、イギリス人の友人が同僚から「minneのハンドメイドマーケット、冬にやるよね!eveは出ないの? 今年は出たほうが良いよって言っておいたら?」と言われたようで、いつもイベントなどに消極的な私だったが、何故か友人の同僚からの言葉にすっかり乗せられて応募したのだ。
“乗せられる”というのは、時にとてもいい作用をする。「どうせ自分なんて〜」というメンタルが落ち込んだ状況になっている時に、上手い具合に周りに乗せられて何かをやってみたら、実は大きなチャンスへと繋がったという話をよく聞くのだ。

私の乏しい経験値のなかでミラクルのような体験をしたことがあったとしたら、それは周りに乗せられて興味のあることや知らなかったことにチャレンジした時だったりする。実際、一人だったら最初から諦めていたが、周りの人たちに乗せられて応募してみたら、『天使と悪魔』の試写会のチケットが当たり、生でトム・ハンクスを見る機会に恵まれたことがあったのも“乗せられた”ことの一つだ。

『什器はどないするの?』
「借りようと思ったけど、借りても置けるだけの広いスペースじゃないの」
『うちの家にあるもの貸してやってもええけど、"和"ものばかりやしなぁ。間口とかはどのぐらいなの』
「横2メートル、縦1メートル、高さ3.5?3.6メートル?だったかな」
『1メートルの2メートル?太り過ぎでeveは入れんとちゃうの』
「そこまで太っちゃおらんわ!」
『銭を置くトレーが必要やろ、送ってやろか』
「何で最初にお金を置くトレーが頭の中に浮かぶの!」

と、コントのような会話を繰り広げていたのだが、珍しく焦っている友人の空気が耳元から伝わった。両親や友人たちの方が什器などの準備のことで連日パニック状態で、それに対して私は何故か"何とかなるだろう"と思っている。当日、自分の身の程知らずを悟って恥をかくのだろうけど。。。

『それにしても、2021年に始めてから3年でめでたくマーケットに出店。石の上にも三年言うけどほんまやなぁ』
「本当だね。体調的に苦しんで苦しんで苦しんだ結果の吉報みたいな感じに思う」
『eveなぁ、良い事が起こる前にコンディションが悪くなるのは当たり前のことや。すべての人の人生にはちゃんと最後に帳尻があうようになっているんやで。だから、決して夢を諦めたらあかん。どうせ自分には出来へんのやとか、無理かもしれへんなんて思っていたら何一つとして夢なんて最初から叶わんのや。フジ子・ヘミングさんを見なはれ。苦労して苦労して、大変な思いをしはって世に知れ渡ったのは60代を終える時やで。そこから世界に羽ばたいたんや。情熱を失ったらあかん』

どこか人間離れした京都の友人の言葉は、私の心に深く染み渡る。いつだってこの友人は、冷えてしまっている私の心に明かりを灯し、前を向いて歩くように促してくれる。

子供の頃から大人として振る舞うことを要求されてきた私にとって、欲しいものの大半を周囲の大人からの一言で諦めることにすっかりと慣れていた。そうして諦めることは、抵抗し続けてトラブルになるよりもずっと自分のメンタルに良いと思い込んでいたのだ。けれど、それは同時に自分の心に嘘をつき続け心身を消耗させる結果となった。
本当にやりたいことは何だったのか、自分の本心は一体何をしたいのか。
コロナ禍のおうち時間は、私の本心を追求するのには充分すぎるほどだったのかもしれない。ハンドメイド作家への扉は、そうして開いたのだ。

『さて、とっとと作品制作頑張りや!うちはちょっと、今から電話しまくらなぁあかん』
「急に電話!? 一体、どこにかけるの」
『うちは予定を組み直すのが大変なんや!ほな、さいなら!』

一方的に切られた電話に苦笑いしながら、この数年ハマるにハマっているバタフライピー茶をごくりと飲んだ。
きっと、12月にこの友人は来るに違いない、と予想しながら。


~おまけ~

「こんにちは~!」
「え、○○ちゃん(京都の友人のこと)、どうしたの!?」

玄関先に涼やかな水色の絽の着物で大荷物の京都の友人が何故か立っている。
おまけにキャリーバッグはわかるけど、この段ボール箱の数々は何!? 分刻みのスケジュールだったんじゃなかったの? とか、色々なことが頭の中をぐるぐる駆け回る。

「どうしたのやないやろ、いらっしゃい、と言いなはれ」
「えっと、いらっしゃい?」
「なぜ、疑問形なんや。では、こんにちは、入りまっせ」

とどかどか入ってくる京都の友人。と言うわけで、ちょっと騒がしい我が家である。

《終》


この度はサポートして頂き、誠にありがとうございます。 皆様からの温かいサポートを胸に、心に残る作品の数々を生み出すことができたらと思っています。