小話『サラからみたアントニー』
私はサラ。
ぬいぐるみショップTRAVISで販売員をしているの。
オーナーのジェイド・シルバーが世界中で買い付けてきたぬいぐるみや雑貨品を販売していて、デザイナーズの高価なぬいぐるみも置いてあるし、子供も喜ぶお手頃価格のぬいぐるみも取り揃えていて、オーダーメイドのぬいぐるみも作ることができるから品揃えは良いと思うの。
でもね、お店は開店したばかりでまだ従業員が私と店長のアントニーの二人しかいないの。人手が足りないのが悩みだけど、オーナーがそのうちスタッフの募集をするというから、とても楽しみにしているところ。
だって、実のところ、私、割に合わないほど働いてる気がするんだもの。
「何だいこれは、よくわからないねぇ。サラはいるかい!」
ラップトップを睨みつけたまま、マウスを持つ手がまったく動いていないアントニーがレジカウンターから大声を上げている。
私がスタッフを即日雇ってもらいたいのはこれなのよ。
アントニーって結構、文明の産物を使いこなせないというか、スマホはおろか、アナログの携帯電話すら操作があやしいところがあって、そういう電化製品の使い方でわからないことがあるといちいち私を呼ぶものだから、こっちの作業が進まないわけ。今時、お掃除ルンバを見て「どうしたんだい、これは産業スパイかい!」と悲鳴を上げている人なんていないと思うの。敏腕で切れ者なうちのオーナーが、世間知らずでちょっと世間を斜めから見てふざけているアントニーを店長に抜擢しただなんて、絶対オーナー、アントニーに弱みでも握られていると思うのよね。
「なぁに、今度はどうしたの? 」
コーヒージャンキーの彼に出すトラジャコーヒーを作っていたけど、それはちょっと中断。
「オンラインストアで注文が入ったみたいなんだけど、納品書の出し方がわからない。さっきからずっと、印刷ボタンを押しているのにプリンターがまったく動かないんだよね、壊れてるんだね、これは」
ふと、プリンターを見る。やっぱりね、コンセントにプラグが入ってないじゃない。どうしてここに気付かないの。
「アントニー、コンセントにプラグを入れないと何も動かないわよ」
「おやおや、びっくりだね。気付かなかったよ」
「ちなみにプリンターの電源ボタンを押して、プリンターの接続コードをラップトップに入れてね」
「了解」
多分、絶対わかってないはず。でも、入れかけのコーヒーが気になって、ミニキッチンに慌てて戻る。絶対まずくなっちゃう。
それにしても、アントニーって絶対に文明と真逆の場所に生活していたに違いないわ、秘境とか、仙人暮らしとか、孤島とか。
「アントニー!お砂糖何杯入れるの?」
「6杯」
「そんなに!」
出来上がったコーヒーに砂糖をスプーン山盛り6杯入れる。無駄にお砂糖どっさりの激甘コーヒーが好きなところは、仙人って感じじゃなくて、ただのお子様なんだけど。
「アントニー、コーヒーできたわよ、きゃー!」
コーヒーに気を取られて床に置いてあった品物の入った段ボールに躓いて、左手に熱いコーヒーがかかっちゃった。
最悪だわ、手が燃えるほど熱い? いや、痛い?
「大丈夫かい、サラ! 」
「熱さより痛くて大変」
「こういう時はね」
アントニーが私の手を掴むと足早にミニキッチンへと連行していく。アントニーにしては凄い剣幕で蛇口をひねり、私の指先を流水で冷やしている。
そして、アントニーがスラックスのポケットから変わった形をした小さな小瓶を取り出した。
「それは何なの? 」
「何にでも効く軟膏だよ。紫雲膏って言ってね、知り合いからもらったんだよ」
「そうなの」
「お気に入りの万能薬だ」
ふたを開けると、ちょっと独特な香りと物凄い紫色のペーストが目に入った。
それを私の指先に薬を塗り込んでくれると、どこかひんやりべったりした妙な肌触りに顔をしかめたくなった。それにしても、いつもぼーっとしている割に、凄く手際が良いのは何故?
「ちょっと、大丈夫なの? 毒々しい紫色だけど」
「大丈夫だよ。これは江戸時代に華岡青洲が創ったと言われる軟膏で、元々は中国にあったものに別の成分を加えたものなんだよ。紫根が良い仕事するからね」
「そうなんだ。紫根ってこの紫色のこと?」
「そうだよ。皮膚の大体のものに効く。やけどは重度じゃなければ治りが早い。事務作業でのひびやあかぎれにもよく効く」
アントニーが何故かスラックスのポケットから取り出した包帯を私のやけどした左手指の三本に巻き付ける。何なの、どうしてそんなに沢山、薬とか治療するアイテムがポケットに入っている訳? まるで医者みたい。
「これで一週間ぐらいを目途にすればいいよ。この軟膏は多分、薬局にもあると思うからね。これは手作りのものだから、サラにはあげられないんだよ」
「軟膏を手作りしたの? 」
「特別ルートで手に入れたものだからね」
今日アントニーの意外なことを知ったわ。
彼って、すごい医療マニアなんだって。
(完)
この軟膏を作った人は、皆さんはもうお分かりですよね(笑)
はい、名前に”ヨ”のつく、あの人です。