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小話『ジェイドの隠し事』

「美味い」

いつも言葉少ない兄が出汁をきかせた味噌汁をすすりながらポツリと言った。
兄のジェイドは品の良い人だ。強面ではあるけれど立ち居振る舞いが紳士そのもので、箸からナイフとフォークまで模範的な使い方をするし、食べ方も綺麗で、振る舞いもマナー講座の講師みたいな人。そして生き方すらそうだからあまりにも堅すぎて、ガールフレンドもできないまま妹の私とずっと暮らしている。

「それは良かったわ」

私はこの不思議な兄を誇りに思っている。仕事もできるし、才能も溢れているなんでもできる人。病弱で何もできない私とは違って優秀を絵に描いたような人だ。

「今日は遅くなる」

新聞を折りたたむと、兄は少しだけ目尻を下げるようにして言った。これは兄なりの申し訳ないという気持ちを表現した顔。きっと、私にしかわからない表情だと思う。一度、鷲のパトリックに言ったら、「あいつの顔なんて、怒ってるのか泣いているのかもわからねぇけど」と笑われたから。

「今日も遅くなるのね」
「あとのことはパトリックとララに頼んでくれれば大丈夫だ」

しゃべる鳥としゃべる猫に私の面倒を見るように言い付ける兄。動物がしゃべるなんて尋常じゃない生活を送っていることぐらいわかっている。どこか不思議な空気を身にまとうジェイドだったら、おのずとこういうスピリチュアルなことが起きるのかもしれない。

それにしても。
私は兄を見やった。兄と私はまったく似てなかった。姿形はもとより、目の色も性格も何一つとして共通性を感じられないのだ。
一度、海辺のレストランに連れて行ってもらった時はジェイド目当ての若い女性から恋人と間違えられて化粧室で水をひっかけられたことがあった。兄妹だと言っても信じてもらえず、ジェイドが割って入って事なきを得たのだけど。

兄は両親のどちらか一方に似てて、私も両親のどちらか一方に似てるのかな。
私の両親はどんな人だったのだろう?私が子供の頃に亡くなったと言うけれどまったく思い出せないし、この家には両親の写真すらないから思い出すこともない

「ジェイド」

ジェイドが私を見た。

「私達の両親ってどんな人だった?私やジェイドに似てた?」 

兄は「私は父に似ていた」と表情一つ変えずに言う。

「じゃぁ、私は?」
「お前は母の土台に父が少し入ってる」
「そう?でも、私とジェイドってまったく似てないじゃない」
「そんなことはない。子供の頃は遊んでいると近所の人からよく似ていると言われた」
「そう」

その前に、この兄の子供時代を思い出せる?
そして、自分の小さい時を思い出せる?
私、子供時代やってたことある? 今まで一度も両親を恋しいと思わなかっただなんて、おかしいじゃない。

「仕事に行く」

兄はコート掛けに掛かっていたスーツのジャケットを羽織り始めた。兄が動くと爽やかなシトラスの香りがする。そして、兄の黒い毛並み。毛並み? おかしい、私は病気だ。頭の中に黒い犬が飛び掛かってくる。

「私、ジェイドと外出遊んでたことあったっけ? 何にも思い出せないのよ」

兄は私に背を向けたまま「お前は病弱だったから外で遊んだのは数えるぐらいで、どちらも私がお前を背負って散歩しに出掛けたようなものだから覚えているはずがない」と答えた。その後ろ姿がなんだか怖くて、私は兄の顔を見る気にはなれなかった。

「行ってくる」
「えっ!あ、いってらっしゃーい」

私は何か、兄にとって嫌な記憶に触れてしまったのであろうか。

**** ****

「アントニー」

いつもは頼み事などしないのだが、ここは百戦錬磨で口やかましい昔馴染みを頼るほかなかった。アントニーはパソコンを弄る手を止め、ジェイドを見るとイヒヒという笑い声でも聞こえそうな表情をした。

「頼みがある」
「嫌だねぇ、ジェイドからの頼みだとまたロクな話じゃないんだろう。潜入捜査はゴメンだよ」
「eveのことだ」
「あぁ、"妹"役のあの子ね」
「兄妹じゃないとバレそうかもしれない」
「何だって、まさか手でも出したわけじゃないだろうな」
「いや、そんなことは決してしてない。ただ、急に両親の記憶もないし、子供の頃に私と遊んだ記憶がないと言い出した」

すると、アントニーはマウスパッドをトントンと指で叩く。

「まずいね」
「まずい。とても動揺して、顔に出てしまったから悟られたかもしれないと思った」
「顔に出たかとなんてジェイドにしては珍しい」

ジェイドはeveを別の惑星から"こちらの惑星"へ勝手に連れてきた。幼かった彼女はあらゆる意味で助け保護する必要があり、"あの人"の許可を取り彼女の記憶を消し、違う惑星で育てた。eveの言うところの親は実のところジェイドでもあるのだ。

「どうするんだい。私が親戚のおじさんとして登場するかい?」
「無理がある。突然親戚なんて出てきても不審がられるだけだ」
「確かになぁ」
「まして、我々が人外と知れたらあの子は動揺する」
「ジェイドと私が実は黒犬と茶猫だってねぇ。でも、パトリックとララはしゃべる動物だってのはわかっているんでしょ?」
「わかっているけど、あの子はあまり深く追求してこない。でもしかし、そこから色々、バレてしまったらどうしようか」

すると、アントニーがポンと手を打った。

「レンに頼みな。あそこは稲荷の狐一族だから、誰かに化けるのはお手のモンだよ」
「でも、レンは数回家に遊びに来ていて顔見知りだから、いくらレンでも騙せないんじゃないだろうか」
「大丈夫だよレンは。今までレンが騙せなかった案件なんてあったかい?」

やはり、あの妙に肝の座った、何を考えているのかわからない白狐に話を通すのが一番か。何があっても顔色一つ変えなければ、まるで人を喰ったかのようないけ図々しいところがここは吉と出るか。

「レンに相談するしかないか」

ジェイドはジャケットの内ポケットに入っているだろうスマートフォンを探した。

*****

『うちがeveに会うまでの間、出張とか適当なこと言って、留守にしときや』

レンにそう言われてから、出張を何個か入れた。それも、宇宙内を移動する出張を。丁度、地球で任務中の黒猫のアナスタシアが、幼児虐待の男を追い詰めたから応援に来て欲しいというメッセージと重なったので、三週間ほど留守にする大きな仕事となった。だが、いざ帰宅するとなると気持ちは重い。

「ただいま」
「おかえりー!」

リビングから玄関に向かって、バタバタと走ってくる音が聞こえる。喜んで走ってくるのが年甲斐もないが、彼女にとって自分は唯一の家族なのだから仕方がない。

「おかえり!」

パッと顔を出したeveの顔は肌細胞からして光り輝くほどに喜んでいた。

「ただいま」
「あのね、数日前にね、私達の従姉妹が来たのよ!」
「従姉妹かい? 父の方?母の方?」

あえて驚いたフリをする。驚きが顔に出ているかどうかが怪しいが。

「父の方よ。その従姉、ジェイドにそっくりなの。髪や目の感じとか、でもね、なんか顔の感じは私にも似てるのよ!」

上手くやったな、レン。

「ゾーイという名前なんですって、素敵よね」

ゾーイか。粋な計らいだと思わずジェイドは微笑んだ。地球にあるギリシャの言葉で女性名エヴァのギリシア語形ゾーエーに由来している。イヴ、エヴァ、ゾーイには生命という意味がある。レンはきっと、eveに言いたかったのだ、"生きろ"と。

「ゾーイ、ね」
「今度、ジェイドに会いたいみたいよ」
「そうか」

改めて、化けてるレンとどんな会話をすればいいのやら。喰えない白狐のことを想像しながら、ついつい大きく息を吸った。


《終》


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