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木を見る木見

こんにちは。

「花見」は花の時期しかできないけど、「木見」なら一年中できるなー。と思っています。

いきなりなんの話ですか?笑

という感じですが、「木見」という言葉をご紹介したいがために書いています。

読み方は「きみ」です。(造語です)

旅先でも地元でも都心でも、「木」は大体どこにでもあります。森林限界より高い場所はともかくとして、私たちが普段生活している場所で木を見ないことはほとんどないでしょう。

その木を「改めて見てみる」というだけのシンプルかつお金のかからない私の趣味があります。

主に、巨木や天然記念物など、その地域で大事にされている木は、説明板が設置されていて、その木が地域にどんな影響を与えてきたのかを知ることができたりします。

それを読んで、木の周りを歩いて、いろんな角度から木を眺めてみます。柵が設置されていない場合は360度、ぐるっと一周して全方向から見てみます。

キノコが生えていたり、
があったり、
が開いていたり、
新しいが出ていたり、
がなっていたり、
が溜まっていたり、
樹皮がめくれていたり、
支柱が食い込んでいたり、
枯れ枝があったり、
根っこが歩道を持ち上げていたり、
が歩いていたり。

山火事?落雷?

この黒い部分はなんだろう。このキズはなんなんだろう。

それでも生きてるのかー。

という感じで、よく見てみると、気になる部分がたくさん見えてきます。

そうやって、木を眺めて楽しむことが「木見」です。
見るだけじゃなくて、触ってみてももちろん良いと思います。

どんな香りがするのか、樹皮や葉っぱの手触りはどんな感じなのか。

楽しみ方は人それぞれ。

一通りみて、木陰で休んでもいいでしょう。


飽きたら帰ればいいです。

気楽にいきましょう。


私は、旅先や出張先で時間ができると、 Google map で「巨木」と検索して、近くに大きな木がないか探してみたりします。意外にもたくさんヒットします。

もちろん、生活圏内にある「いつもただ通り過ぎている木」の中の一本を見てもいいでしょう。

並木道や街路樹を歩いて見てみると、みんな同じ木に見えていたものが、個々の個性によって、一本一本が同じではないことに気付かされます。

「木見」自体にお金はかからないことの方が多いですが、時には入場料や入館料を支払わないと見られない木もあります。

そうであっても、自分が本当に見てみたいと思ったら快く支払って、木に会いに行きます。地域の保存樹や天然記念物クラスの木は、当たり前のように長年そこで私たちを見守ってくれていると思いがちですが、今日まで保存されていたのは、「保存にお金をかけてこられたから」でもあります。

いつまでも長生きしてもらうためにはお金も必要なのです。

そういえば、先日、愛媛県の「生樹の御門(いききのごもん)」という大きなクスノキを木見していたところ、同じように木見を楽しむおじさんに出会い、そのおじさんが「地球の歩き方」を見せてくれました。

「地球の歩き方」ってこんな本も出しているのか!!

ということでご紹介しておきます。

ま、それはいいとして、自分が見て楽しめたらそれでいい。

昔切った剪定の痕だとか、鳥の巣、ヤドリギなど、眺めていればいるほど、目に入ってくる情報が意外と多くて、木の歴史、時の流れを考えさせられます。

自然と、「ありがたみ」みたいなものも感じられてきたりします。

そして広葉樹の場合は、一度見たら、今度はまた別の季節に訪れてみたい。と思わされたりします。別の季節には、また別の姿を見せてくれるはずです。

そんなふうにして、何度訪れても楽しませてくれます。

木の存在は、多くの人が「背景の一部」として捉えていると思います。山々に見えている緑色のモコモコも、街路樹も、よく見ることなんてあまりないですよね。

よく考えたら、木はどこにでもあるけど、ちゃんと見たことがないという方もいらっしゃると思います。

そこにずっといて、逃げも隠れも歩けもしない木が、私たちの年齢の何倍も長く生きています。

あー。それってなんか感慨深いなー。

と思えたら、楽しめてるってこと。


木をじっくり見て、頭の中が動いていたらそれはもう「木見」です。

「生樹の御門(いききのごもん)」


暑い日も、日陰を作ってくれてありがとう。


それではまた!
Have a happy tree life!!


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