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寝落ちに負けた

立場が変われば、自分の考え方や振る舞いも自然と染まっていく。
例えば、職場で上司になった途端、
以前まで同僚だった人たちと同じ感覚ではいられなくなる。
言葉を選ぶ頻度が増えたり、
責任感に押されて妥協する場面も増えたり。

家族の中でも同じだ。
例えば、親になるとき。
それまで子供の視点で親を見ていた自分が、
ある日突然その逆の立場に立つことになる。
何気なくしていた親の行動が、
本当はどれだけの思慮や苦労のもとに成り立っていたか、
ようやく理解する瞬間が訪れる。

どんな意図を持って話すかで、
その言葉の響き方や届き方も変わる。
例えば、仲間を励ましたいとき、
厳しい言葉を使うのか、優しい言葉を使うのか。
その選択ひとつで相手の心が折れることもあれば、
力強く立ち直るきっかけになることもある。

綺麗事を吐きたくなる場面もあるだろう。
「大丈夫、うまくいくよ」とか、
「そんなに気にしなくていいよ」とか。
けれど、本心をさらけ出すのはもっと難しい。
例えば、心から「ありがとう」と伝えること。
思っていても、恥ずかしさやプライドが邪魔をして、
その言葉を口に出せないことも多い。

だからと言って、すべてを言葉にする必要はない。
言わなくても伝わるものもあれば、
言葉よりも態度で示すほうが誠実な場合もある。
例えば、何も言わずにそっと手を差し伸べることや、
一緒に黙って時間を過ごすこと。
そんな無言の行動のほうが、
相手にとって大きな支えになる場合だってある。

それでも、嫌われることは避けられない。
わかりやすい態度を取れば取るほど、
人によってはそれを「押し付け」と感じるかもしれないし、
逆に無関心と受け取られることもある。
例えば、自分なりに一生懸命やっていることが、
相手にとっては鬱陶しいと感じられる場合もある。

向けられたものをそのまま返すというのも、
時には自然な防衛本能のようなものだ。
例えば、誰かが冷たく接してきたら、
自分も自然と距離を取る。
逆に、温かい気持ちを向けられたら、
こちらも自然と笑顔になれる。

ただ、その返し方がいつも正しいとは限らない。
例えば、怒りを怒りで返してしまえば、
そこにあるのはただの衝突だ。
一方で、怒りを冷静さで受け止めれば、
その場の空気が変わる可能性もある。

自分がどんな言葉や態度を選ぶかは、
その場の状況や自分の気持ち次第だ。
けれど、そこに相手の意図がどう絡んでくるかで、
結果は大きく変わる。

例えば、相手が誤解を恐れず本音をぶつけてきた場合、
それをそのまま受け取るのか、
あるいは自分なりに解釈して返すのか。
その選択ひとつで、関係性が深まることもあれば、
逆に壁を作ってしまうこともある。

結局のところ、すべてはバランスだ。
自分がどう振る舞うか、何を返すか。
その瞬間ごとに選択肢があるけれど、
その選択が正解かどうかは誰にもわからない。

だから、わからないまま手探りで進む。
間違えることもあるけれど、
その経験が次の選択に繋がると信じて。

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