過去のデータ見て過ごす

ずっとずっとしてきたことをへし折り終わらせてることに
少々もったいなさを感じる

USBメモリーにはかつて仕事で使った資料をたくさん残してある。目標であったり作成した資料。不平不満をぶつけるための書類。
写真、音楽

沢山のものがちゃんと残っていて閲覧できる。
かつての情熱は

今でも見るたびに熱量のこもった文章になっている。
昔のサイトに書いた日記も

今も見れるから見返すと

ずいぶんと絵文字を使って💦見苦しいほど
改行はなく

スペースもない

読み手はそれでも読んでくれていた。閲覧数が俺にしては多い二桁。
読み返せば何やら懐かしくも楽しそうで自由な文だ

しかし気持ちが全面でなぁ・・・
今も変わらんと言われればそれまでだけど
少しは長く書けるようになったし。

連日書けるようになった

何か月かおきにはならなくなった。文章の量も少し増えた。

面白味は・・・
変わらんな

まだまだ

あの頃はお手本見なかったし
みんな適当に書いているような印象だった。

ちょうど小説化でネットの小説がにぎわった時期だったし。

書くことに関して
チラ見しながら書いてた気がせんこともない

いまさらになって。
しかし仕事で文章作成は少し鍛えられたといいますか

出来るようにはなってる・・つもりではあるがね

なかなかに文章を作り上げるのは難しい
小説とかの創造で書き上げていくなんて

頭の中に世界が出来上がってないとそして自由に動かせないとできないわけで
凡骨には(自分)
到底

難しいわけで

書き上げてもつながらないとかよくわからないとかになりがちで

久し振りにみた文は過去ながら揺さぶられた。
あの情熱をしっかりと他にそそぐことができたら

少しはましになるかもしれない
やみくもに取り組んでた

あくまでも少し

仕事が自分の全てなんてさ
やめといたほうがいいもの

上手く付き合って
注ぐものをちゃんと変えていかないとだな

うん
コーヒーがうまい

さて対応してっと・・・

しっかし前の文章を書いた時から今までいったい何してたんだろう
ただただ劣化していっただけなのだろうか

不安定だった地盤を補修していたと考えるべきか。
今の職場では使いそうもないと捨てたような感じではあるが。

環境とはよくいたもんだ恵まれている時ほどわからない
転職はある程度のスパンでやるのは正解だと思う

一つの考えに固執せず自分なりの考え方が形成できる気がする
井の中のなんとやらにならず客観視できる

でもまあここにならなきゃまた書き始めることになるとは思わなかったし他にも産物と言えばたくさんあるわけで

それはそれでよかったこと。
来なければ到達できなかった。

もがきながらも進んでなくても日は過ぎるしイベントごともある

目の前を通り過ぎてくものを
しっかり感じて、見る
だな

何を得られるか
は分からんが

なにかやってないと

時々のふり返りもね

思い出したり、心の支えになる事もある
自分の苦労したこと、乗りきったことは大きな財産になる

失敗もね

今をのたうち回る手助けにはなる。
多分。
知らないけども

ぼちぼちに何事も

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