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思考の積み木

あ〜だからか。


どうしてこうなるのか、知る。
それって結構面白い。

消費するものの選択条件(これにしよって思う理由)とか、
発言する内容、使う言葉、表情、立ち振る舞い、着てる服。

それらに対して
「どうしてわたしはこうなるのだ?」と
組み立てた積み木のお城をバラバラにするみたいに分解して
一つひとつのピースを眺めてみると

「あ〜〜〜!これがあったからか!」って
発見と納得が湧いてくる。

例えば、昔読んだ本。幼少期に一瞬見た光景。
何気なく借りて観た映画のワンシーン。誰かとの会話。
何かの試験で読んだ課題本。

自分では意識していなくても、わたしをわたしたらしめているのは
意外な経験やたった一瞬の出来事ということに気が付く。

知らず知らずのうちに磁石みたいにわたしにくっついて
わたしという積み木を構成しているピースになっていくみたいだ。

でも、テキトーに注意を怠って生きていると
構成するピースが極端に少な苦なっていくことにも気付く。
中身スカスカの、脆い積み木のお城になって
弱い風が吹くたびにグラグラと揺れて神経質になる。
それで更に、ピースを増やす努力なんてできる余裕がなくなってくる。
なかなかそのループから抜け出せなくなってしまう。

ひとつ間違えたくないのは、
いつも目にするもの触れるものそばに置くものを選ばなくてもいいってこと。
むしろ選ばない方がいい。
そうじゃなくって、どんなものが経験としてわたしに訪れようとも
自分のお城に必要な素材になり得るよね、って思っておくようにしたい。
それは真面目に生きるってこと、注意深く生きるってこと。

そうすれば、自然と経験の中で積み木を増やしていくことができる。
積み木のピースが増えていることに気付かないかもしれないけれど、
ある時お城を分解してみると、思いがけないピースがお城の中心を
しっかり支えてくれていたりすることに驚くかもしれない。

だから、何をするかとか誰とするかとか、なぜするかとかが大事なんじゃなくて、
どんなことであっても勇気を持って注意を払い、愛を育てるってことが大事。

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