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RAPSTAR 2024を見て、HIPHOPのアート性(独自性、地域特化、社会包摂)と才能が集まる勢いを改めて痛感したり。

せわしない日々の隙間をぬって、ABEMAで放送しているRAPSTAR 2024をすべて見てしまいました。

その名の通りラップスターを発掘する番組なんですが、ラップってほんとアートだな、と思わされました。
いくつかそう思った理由があるんですが



まず、ひとつめが徹底的にオリジナリティを追求されること。
あなただから吐ける言葉っていうのを求められるのもそうだし、スタンスとスタイルとアティテュードとストーリーと(カタカナ並べてみた)

そういう意味ではプロレスの「ギミック」にも近いものがあり、まずは自分が何者かを知り、自分に合った在り方を把握して自分を確立すること、そして次に周りに近い属性の人がどれくらいいるのか座標を把握すること、適切な場所とタイミングで違いを打ち出すこと。



次にフッド感、つまりは地域愛・地元愛。
札幌、名古屋、東京とかの規模じゃなくて、堀川とかを代表して・・・と言われても堀川どこ?ってなるんですけど
街の地名度とかは重要じゃなくて、街と自分の距離感や関係性についてだったり、自分がどこから来てどこへ行くのかを無意識的に考えている、みたいな。
そしてファミリービジネスですよね、基本的に。

地域に、地元にお金を落とす精神や、地域の特性やデメリットを把握しながらもそこで住み続ける、小さくでも発展させようとする行為は地方創生とも言えるんじゃ。



そしてHIPHOPは逆境の音楽であり、マイノリティーへの寛容さや社会包摂のような要素があり。
元アウトロー、元ジャンキー、元ひきこもり、負け組や不幸という枠に入れられがちな生活環境者、貧困などなど。
そういった人たちへの門戸が開かれている数少ない職種であり、救いとして存在していたりもして。



あとはなんだかんだ恨みや嫉み、いがみ合いなんかもあるかもだけど、基本的にHIPHOPという文化を共に発展させようという愛があって、客演し合う行為なんかもそうなのかもだけど協力し合って生きているというのがありますよね。



他にも即興性と作品性、空間掌握、抜きと間合いとかでもいろいろ語れそうだけど、まぁしかしですよ、今回見て思ったのは
HIPHOPが遂にDREAMになったっていうか。

僕の時代とかは明確に「JAPANESE HIPHOP」みたいな括りがあって、それは今でも使うワードかもなんだけど、やっぱりUSのHIPHOPとはちょっと格が違ったっていうか。

日本語のHIPHOPの中でも聞く曲はあったし、札幌の音楽も聞いたりしていたけど、やっぱりNasとかはヒーロー感あったっていうか。
それは世界での影響力、世界の潮流を変えるという意味でも、本当にHIPHOPが世界の音楽史を塗り替えていく様を見てきた訳なんで。

でもいまや、HIPHOPを目指す日本の若者の多様性よ。
才能は活気ある現場に集まる。

勉強になるぅ~

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