豚、ウイスキー|第14章 シンシナティ|アメリカでの40年間(1821-1861)
Forty Years of American Life 1821-1861
Thomas Low Nichols
豚
膨大な量のトウモロコシが豚に変わるのです。トウモロコシからたくさんとれる油はラードになり、その脂はベーコンになります。オハイオ州の農家は1000頭の豚を飼っていて、豚は森の中を群れになって走り回ります。彼らはガラガラヘビを食べ、根を掘って食べます。秋には森は木の実でいっぱいになります。ブナの実、ヒッコリーの実、クルミなどです。マストはそれらの実の総称です。豚たちはこの上で大いにグルメになり、太ります。それからトウモロコシ畑に放たれます。豚たちは牛の後を追うのです。トウモロコシは家畜たちが勝手に食べてしまうことはありません。あまりにも大変な作業だからです。トウモロコシは小さく切り分けられてから牛に食べられ、残ったものは豚の食卓に集められます。そしてその牛や豚は市場に出荷できるくらい太るまで育てられます。トウモロコシは牛肉や豚肉と同様に、市場で扱いやすい作物です。樽詰めして世界中に送ることができます。
ウイスキー
これでも西部の驚くべき豊穣な大地が生み出す膨大な量のトウモロコシを使い切ることはできません。残りはウイスキーに加工されます。牛や豚も蒸留器の残りものを食べます。このウイスキーは大量にシンシナティに運ばれ、1ガロンあたり 8~10ペンスの値がつきます。さらにここでウイスキーは主に動物の炭で濾過されて精製され、不純物が取り除かれ、東部の都市やニューオーリンズに送られます。かつては、オハイオやミシシッピの蒸気船の積荷の大部分はウイスキーで占められていました。フランスでブドウが不作になると、大量のウイスキーがフランスに送られます。着色されブドウの香りを染み込ませた後、最高級のコニャックやオタールとして輸出されます。そして、シンシナティの酒場で飲まれるブランデーは、二度の航海とさまざまな加工を経て、もはやオリジナルのウイスキーとも言えます。それほど手間がかからず、費用もかからない加工を経ていないのなら別ですが。
シンシナティではウイスキーに次いでワインは定番です。飲まれる量が多かったり重要性が高いというわけではありませんが、よりマイルドな種類の嗜好品の飲物としてです。公の晩餐会で乾杯の挨拶をする人たちが言うように、私はワインについて、アメリカのブドウ栽培の先駆者の中で最も広く知られているニコラス・ロングワースの名前に言及します。ロングワースは1862年に高齢で亡くなりましたが、西部アメリカで最も裕福な人物でした。小柄で背中が曲がった老人で、知的な農業家であり、芸術の寛大なパトロンで、温かな家族に囲まれ、「貪欲さの夢を超えるほど裕福」でした。しかし、生産性の高い不動産やその他の堅実な投資で200万ポンド近くの「資産」があったにもかかわらず、貧困の恐怖と救貧院で人生を終えることへの恐怖に悩まされていました。