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カトーバワインとニコラス・ロングワース|第14章 シンシナティ|アメリカでの40年間(1821-1861)

Forty Years of American Life 1821-1861
Thomas Low Nichols


シンシナティ(google mapより)

カトーバワインとニコラス・ロングワース

ニコラス・ロングワースは将来のヤンキー候補としては悪くないタイプでした。彼はニュージャージーの靴職人で、若い頃にシンシナティに移住しました。当時、シンシナティは小さな村で、オハイオ川の岸に過ぎませんでした。その頃、現在の都市が建てられている土地全体が 60 ポンドで買えたほどです。ロングワースにはそれを買うお金すらありませんでしたが、彼はもっと大きな野心を持っていて、法律を学びました。彼がこの偉大な科学をどのくらいの期間学んだかは知りません。当時の西洋では、6週間というのはかなり妥当な期間と考えられていました。ブラックストーンと地元の法律を読んだ人なら、弁護士資格を得るのに何の問題もありませんでした。しかし、裁判官もミドル・テンプル(法曹院)も馬毛のかつらも、ここにはありません。

ロングワースが担当した最初の事件の一つは、軽犯罪を犯した男の弁護でしたが、その男には弁護料を払うお金がありませんでした。彼は金銭の代わりに、開拓者やインディアンのためにウィスキーを作るのに使われていた古い蒸留器を若いクリスピン弁護士に提供しました。ロングワースは古い銅貨しか手に入らなかったため、それをすぐに 100エーカーの土地と交換し、現在ではシンシナティで最も家賃の高い不動産の一部となっています。このようにして、ある人々は財産を築いたり、財産を押し付けられたりするのです。アスターとジラード、そしてマサチューセッツ州ニューベリーポートの狂気の大富豪、ティモシー・デクスター卿の幸運はまさにそれでした。彼の手の中ですべてが黄金に変わったのです。いたずら好きの人が彼に保温鍋(ベッドを温める鍋)を西インド諸島に送るよう助言しました。彼がその助言に従ったところ、それは砂糖を作る過程でシロップをすくうための長い取っ手の鍋や、こし器の蓋としてとんでもない値段で売れたのです。これほど幸運な人たちなら、ファンの積荷をノヴァ・ゼンブラに送るのは、どういうわけかいい投資になるようです。

ロングワース氏は自分のために、庭園と温室を備えた立派な邸宅を建て、そこへは見知らぬ人も市民も自由に出入りできました。彼はアメリカの彫刻家パワーズやその他多くの芸術家たちの最初のパトロンでもありました。パワーズの最初のパトロンと言うべきではないかもしれません。なぜなら、大理石で仕事をする前、彼はシンシナティ博物館のために蝋人形を製作していたからです。その中には、ダンテの魂を驚かせたであろう地獄の領域を絵画的にかつ機械的に表現したものも含まれていました。

しかし、ロングワース氏の最も注目すべき仕事は、オハイオ川のほとりでのブドウ栽培とワイン製造の導入でした。主に栽培されているブドウは、カタウバと呼ばれる在来品種です。ヨーロッパでブドウを育てるのは、夏が長いアメリカよりも長い季節を必要とします。アメリカの植物は、猛暑と厳しい寒さに耐えなければなりません。カトーバ種のブドウは独特の風味があり、ワインはホック種に似ており、スティルワインかスパークリングワインのどちらかです。辛くて酸っぱいものも多いですが、品質が優れていて風味がよいものも多数あります。ブドウ園の収穫は非常に多いので、シンシナティ近郊の大規模栽培者が私に保証してくれたように、1ガロンあたり 6ペンスの収穫しかないにもかかわらず、これほど利益の出る作物はほかにありません。しかし、アメリカではワインの消費量が生産量に比べて非常に多いため、フランスやドイツからの輸入ワインが市場を独占しており、ロングワース氏のボトル入りワインは 1ダース 2~3ポンドで販売されています。スパークリングワインのカトーバはシャンパンと同じ小売価格、つまり 1本 8シリングです。

シンシナティでは有能なブドウ栽培者やワイン製造者が不足することはありませんでした。人口の 3 分の 1 がドイツ人であり、ドイツの言語、制度、祭りはオハイオでもライン川でも同様に見受けられます。アメリカが、特にメリーランド州、バージニア州、オハイオ州とミズーリ州の沿岸地域で、そして何よりも、金だけでなく果物とワインの国として世界の庭園とも言えるカリフォルニア州で、偉大なワイン生産国になる日はそう遠くないでしょう。

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