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競売にかけられる、下宿先のようす|第6章 教育と講義の仕組み|アメリカでの40年間(1821-1861)


競売にかけられる

学校の経費は、各地区で納められる直接税と、一般教育基金の2つから調達されます。特に新しい州では、教育目的のために土地が最初から確保されており、この基金は非常に大きく、あらゆる教育目的に十分対応できます。ニューハンプシャー州では、住民は自分たちに多額の税金を課して、地区内で集められたお金や地区に流れ込むお金をできるだけ有効活用しようとします。教師は競売にかけられ、泊まりに来てほしい家は最も低い賃料を提示し、その入札者の家に泊まることになりました。あるいは他の教師の家に泊めてもらったりすることもありました。

毎年町の集会では、町の貧しい人々が競売にかけられ、彼らの能力に見合う仕事とその雇い主、つまり最も安く雇う人が決められました。貧乏人はもはや奴隷であり、1年契約で売られ、生きている限り毎年転売されたものでした。学校の校長も同様に不名誉な扱いを受けていました。下宿代が安くなればなるほどお金は長持ちするので、学校の学期も長くなります。食料が豊富にあり、勉強に少し手助けが必要な子供たちがいる裕福な農夫なら、わずかな報酬でも喜んで自宅に下宿させるでしょう。週に3シリング以下の下宿料で贅沢なもてなしを受けている人がいるのも私は知っています。

下宿先のようす

しかし、この金額さえも地域のために節約されることが多かったのです。その方法は、男性教師や女性教師が生徒の家に1週間か2週間、無料で順番に下宿することでした。これにより、教師の生活に楽しい変化がもたらされ、地域の人々が互いにもてなしの心で競い合うことが可能になりました。これが最も人気のあるやり方だったと思います。どの若い娘たちもみな、心の中でひそかにあこがれる人を得る機会を与えられました。教師は地区の端に下宿するときにはひたすら歩かなけれないけませんが、どこでも束の間の名誉あるお客さまとして、丁重な扱いを受けたものです。先生のために、校区内で最も良い部屋と、最高の食事が用意されていました。

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