絶対禁酒主義、メイン州法|第8章 アメリカ人の道徳観念|アメリカでの40年間(1821-1861)
絶対禁酒主義
近所の酒飲みで教養があり財産もある男が、通りをふらつきながら歩いているのを何度も見かけたことあります。その男がある夜、よろよろと川に落ちたたのです。父親は彼の葬式に参列しました。そしてその日依頼、彼の住居から酒類は一切排除されました。彼は禁酒主義者となり、生涯その姿勢を貫いたのです。キトリッジという名の酔っぱらいの弁護士が著名な改革者になったこともあります。人々が節度を保つために一杯のリンゴ酒さえ飲まなくなったとき、農民たちは大きくて美しい果樹園を切り倒し、トウモロコシ畑に耕しました。
彼らは、ワインの豊富な産地では酔っぱいがほとんどいないという事実を忘れて、最も純粋で軽いワインでさえ一滴も味わおうとしませんでした。彼らは、聖餐の宗教的儀式からワインを排除し、発酵していない代用品を使うほどでした。まるで、私たちの主と使徒たちが飲んだもの、そして主がガリラヤの婚礼で奇跡を起こして提供したものを飲むには、自分たちは神聖すぎるかのように。
メイン州法
完全な禁酒化の動きはほとんど狂信的といってもいいほどになり、道徳的な立場から説得するだけでは限界がありました。禁酒主義者たちはメイン州法を成立させましたが、もはや憲法の規定を完全に超えたため、思ったような効果は得られませんでした。それは飲酒を無くすどころか、むしろ酔っぱらいによる害を間違いなく増大させる結果となりました。
酒類の小売が禁止されると、人々は卸売りで酒類を買い求めました。運送会社は他州から樽入りの酒類を運ぶ注文でいっぱいになりました。密輸にはさまざまな手段が講じられ、人々は個人の権利を侵害する法律をまったく尊重しませんでした。彼らは公然と反抗するか、または黙って無視することを決め込みました。数か月のうちに、それは馬鹿らしい冗談として扱われ、死んだも同然となってしまいました。この禁酒法改革はあらゆる場所で、特に小さな村や田舎の地域では、メイン州法により酒類の消費量が増加し、大きな利益をもたらしました。そして禁酒運動に悪影響が及びました。