アメリカの風景:ロサンゼルスからフィラデルフィアまでグレイハウンドバスで旅をしたときの思い出②
夜中に目が覚めた。窓からは何も見えない。幸い今まで隣に客がいなかったおかげもあって少しは眠ることができたらしい。グレイハウンドで寝るのは至難の技だ。なぜならば夜中も小さな街にちょこちょこ停車して行くからである。しばらくすると小さなターミナルにバスは入っていく。ターミナルの名前をみるとセリグマンとある。どうやらアリゾナ州に入ったようだ。ここで深夜の夕食を摂ることに決めた。サンドイッチを頬張りながら周りを見渡すと、他の乗客もそれぞれ食事を採っている。
グレイハウンドの乗客は、バスでしか長距離を移動できない人達だ。普段では会わないような人達と交流することができる。本隊に戻る迷彩服姿の兵隊。幼い子たちを連れた若い黒人の母親。故郷に帰るお年寄り。それらの人々をグレイハウンドはまるでゴミのように扱う。チケットがないと怒鳴り、車内で大きな声を出すなと威嚇する。だが彼らは客だ。そのことをグレイハウンドの社員は考えたことがあるのだろうか。
そんなことを思いながら、プラットフォームからまたバスに戻る。朝になればアルバカーキにはついているだろう。そしていつの間にかまた眠りについていた。
早朝にまた目が覚めた。バスは休みもなくニューメキシコの砂漠の中を夜通し走っていた。アルバカーキはもうすぐだ。日が昇るにつれてゴツゴツとしたニューメキシコの風景が目に入るようになった。この辺りはまだ地平線がくっきりと見える。暇つぶしの方法がなくなった人々は、やがて前に広がる地平線を見つめ、地平線だった地点を過ぎるまで数えたりしながら過ごすようになる。まったく訪問と瞑想は紙一重であるものだ。
ニューメキシコを過ぎたバスは一瞬だけテキサスのアマリロという街に入る。いわゆるパンハンドルと呼ばれる、テキサス北部の出っ張った場所である。ターミナルに入ったバスは、ここで1時間休憩することになっていた。久しぶりに街の中心地であったので外をちょっと歩いてみることにした。
アマリロは1960年代から時間が止まっているような場所で、年季を感じさせる中層のビルに囲まれている。人の影は少ない、寂しい街であった。これでもパンハンドルの中心都市だという。特に見るものもなく、仕方がないので早めにバスに戻ることにした。
バスに戻るとしばらくしてまた動き出す。車窓がまったく変わっていることに今更気づく。延々と続いていた砂漠の風景が、延々と続く農地の風景に変わっている。このまま進めばあともう少しでオクラホマだ。
つづく