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大陸横断紀行⑨

これまでのめちゃくちゃな旅行の最終日、わたしはモーテルで通称コンチネンタルブレックファストをいただいてからでることにした。コンチネンタルブレックファストとは、たいていのモーテルで提供される軽食で、デーニッシュやドーナツなどの甘いパンの類、ようはペイストリーをオレンジジュースやコーヒーで流し込む、極めてハイカロリーで極めてアメリカンな朝食だ。あれを毎日食うのはさすがに重いが、今日は旅が終わるハレビだ。たまには高カロリー飯でも食ってやろうと朝から甘い奴らを3つほどぺろりと平らげて

    • 大陸横断紀行⑧

      ヤングスタウンに泊ったのは理由があった。シカゴからより直線距離でペンシルヴァニア方面に行く高速道路が、ターンパイクと呼ばれる、有料道路であったからである。ターンパイクとは、料金所のゲートのバリアのことを指すが、それがアメリカ東部では有料道路の総称となっている。これを避けたのは、電子徴収システム、日本でいうETCを搭載していなかったのと、料金所で現金支払いができるか不透明であったからだった。現に、カリフォルニアの有料レーンはファストトラックと呼ばれるが、料金所があるわけではなく

      • 大陸横断紀行⑦

        あくる日、わたしが運転するレクサスはアメリカ第三の都市、ウィンディーシティの愛称で知られるシカゴに向かっていた。シカゴに近づくにつれ、緑に包まれた田園風景は街々に代わり、さらには地下鉄の線路までが高速道路に挟まれて中心街まで伸びていた。わたしはシカゴには常にあこがれを持っていた。湖のほとりの大都会。昔マフィアが台頭した大都会。戦争に反対し、青の党の党大会で市民たちが声を上げて、政権交代まで引き起こした大都会。わたしのような西部の田舎者にとって、シカゴとは、東部の入り口に位置す

        • 大陸横断紀行⑥

          その朝はまだ空がうっすらと明るくなる前にでた。眠気覚ましにトラックストップでXLサイズの激アマコーヒーを買ったのちに、暗い高速道路を東へ東へと車をすすめた。日がやがて進行方向にあがり、周りを照らし出すおようになると、わたしは延々とトウモロコシ畑の中を走ってきたことを知った。オズの魔法使いの舞台であるカンザスは麦畑であったが、こっちはトウモロコシか。だが、竜巻が来たとしたらわたしもマンチキンの国にいよいよ飛ばされそうな気分がした。リンカーンやオマハといったネブラスカの主要都市を

        大陸横断紀行⑨

          大陸横断紀行⑤

          ソルトレイクシティについた覚えはあまりない。よく見るアメリカのダウンタウンを路面電車が走っていて、やたらでかいモルモン教の教会があったのは記憶している。わたしは先を急いでいたので、観光するなどという頭はなかったのも一因ではあるが。昼食だけとって、そのまま車を北東へ走らせた。高速はユタ州を突き抜けて間もなくワイオミング州に入り、美しいロッキー山脈が車窓に広がるようになった。しばらくくねくねした山道を進み、アルプス山脈を彷彿とさせる景色を遠くに楽しみながら車を東へと走らせた。車は

          大陸横断紀行⑤

          大陸横断紀行④

          目が覚めたのはもう9時頃で、日がすでにリノの街を照りつけて、全てのものを熱く焦がし始めている状態であった。わたしは着替えてからビュッフェで朝食を摂るべく、お食事券を手に一階にエレベーターで降りていった。 アメリカ人はベーコンが好きであるが、それには概ね二つの出され方がある。まず多くのアメリカ人が好むカリカリ焼。油が全部抜け落ちるまで炭になるまで焼く方法。これはわたしにとって望ましくなかった。なぜならば、ほぼ炭化している肉にもはや旨味はなく、ただ単にシャリシャリとした食感が残

          大陸横断紀行④

          大陸横断紀行③

          車はサクラメントを過ぎてそのまま北東へと進んでいった。しばらくすると平原が途切れ、上り坂に差し掛かった。これがシエラネバダ山脈か、とハンドルを握りながら思い出した。たしかこのへんで遭難した開拓者の一隊があったな。そう思ってるうちにレクサスはあっという間に峠を越え、程なくしてリノの町へ入った。もう日が暮れて、黄昏の時刻であった。わたしはこのキャンブルの街で一晩過ごすことにしていた。母親が、宿泊券をわたしによこしたからである。まったく、役に立つんだかなんだかわからない人である。

          大陸横断紀行③

          大陸横断紀行②

          アパートを引き払う日、わたしは管理人に鍵を返却してから、もう一度2年間住処であった場所を見返した。もうすでに荷物は貸倉庫に預けてあったので、部屋は借りた初日と同じ用にすでにがらんどうになっていた。いつになったらこの根無し草のような生活が終わるのだろう。いつになったら生活に動揺が走らないような日がくるのだろう。この二週間で生活のすべてがひっくり返され、精神的に心底疲れていたわたしは、レクサスに乗り込んで早々にやっと見つけ、家と呼んだアパートを後にした。 朝のフリーウェイを東に

          大陸横断紀行②

          大陸横断紀行

          アマンダとわたしの関係が、山と谷を越えた二年後、わたしの人生が大いに揺さぶられることになった。学期終わりのある日、わたしの母親がわたしの学費をギャンブルで使い果たしてしまった事を知ったのだ。元々母はギャンブル依存症で、日中はパチンコを打ちに行くという自堕落な生活を送っていた。そんな彼女が、アメリカに渡米してきたのは、わたしが州立大学に編入した頃だった。そもそもわたしが小学校卒業まもなくアメリカへ送られたのは母親自身がその頃から渡米したがったからであり、「子どもの勉強の為」とい

          大陸横断紀行

          新生⑫

          カリンに8年前と同じ質問を投げかけられてわたしは一瞬狼狽えた。わたしはまるで昔にタイムスリップしたように錯覚した。そして、カリンの不安そうな表情とカホの面影が重なった。気付くまもなくわたしは、8年前の冬にそうしたように顔をうつむいてしまっていた。答えなければならないのはわかっていたが言葉がでない。思い浮かぶのはアマンダの顔ばかりだった。 しばらく黙っていると、カリンはこう言って謝った。 「急に変なこと聞いちゃってごめんなさい、困っちゃいますよね」 わたしはいや、といい

          新生⑫

          新生⑪

          その秋の間、わたしの心は少しずつカリンに奪われていった。わたしたちは常に、人類の進化について図書館で勉強しあい、その合間にわたしは日系のスーパーやコンビニの場所を、まだ渡米して間もない彼女に教えた。 何処からが浮気か、というくだらない質問が度々聞かれるが、それが、他の相手に心が移ってしまった時点と定義されるならばわたしは完全に有罪で、銃殺刑に処されていたであろう。事実、カリンはアメリカという座敷牢に、無期懲役で入れられてたようなわたしにとって願っても無い存在だということを痛

          新生⑪

          新生⑩

          一瞬びっくりしていたものの、彼女はすぐ笑顔になって答えた。 「はい、留学生のOと申します。なんで日本人だってわかったんですか?」 わたしは、自分のことを紹介し、名簿にあったからちょっと気になって、と 言ったら、あははっと笑った。 「面白そうでとってみたけど、英語もあんまりなんでちょっと不安なんです」 「自分は人類学を専攻していて、アメリカで育ってきた人間なので、なにかあったら何でも聞いてくださいね」 彼女はそれに喜んで、連絡先を交換して、また水曜日に、といって別れた

          新生⑩

          新生⑨

          アマンダがはじめてわたしを訪れて3年が経っていた。彼女は年に1回は必ず会いに来てくれ、わたしたちはその都度にお互いの愛情を確かめあった。なかなか一緒に過ごせる時間が限られていたので、わたしたちにとってはそれしか方法がなかったのである。わたしはよく、僕の子どもを産んでくれるかと彼女に聞いた。それは中々意地悪な質問であったと今思う。なぜならば、前述の通り彼女は厳しいカトリックの教育を受けてきただけでなく、彼女の父親がアジア人を心の奥底から嫌悪する、熱血な共和党支持者だったからだ。

          新生⑨

          新生⑧

          アマンダがフィラデルフィアに帰る朝、早めに二人でホテルのチェックアウトを済ませ、空港までのシャトルに乗り込んだ。前の日は結局食事に出た以外はどこにもいかず、終始二人きりで過ごしただけであった。自分自身、ここまで深い関係に、この三日という短い間でなっているとは思ってはいなかったので、驚きと戸惑いが、幸福感の奥にうっすらと漂っていた。 「じゃあ、またくるね」 セキュリティチェックの入り口で、名残惜しそうにアマンダは別れを告げ、わたしは、彼女の姿が見えなくなるまで見送ってから、

          新生⑧

          新生⑦

          わたしたちは海辺について、湾を見渡せるメキシコ料理店に入った。 「最初のデートって思うと緊張するね」 そうアマンダはいって顔をほのかに赤くした。わたしは、彼女に同意しながら、彼女が食べられそうなものをメニューの中からみつくろっていた。多くのアメリカ人はスパイスが苦手だ。普段食べてるのものに入っているスパイスといえば胡椒くらいだし、それだけでも刺激が強すぎるという人もいた。 とりあえずわたしは前菜にケサディーヤを注文することにした。これならメヒカンといってもテキサスで作ら

          新生⑦

          新生⑥

          7月のはじめ、夕方の空港の到着ロビーでわたしはアマンダを待っていた。付き合うといってから3か月が過ぎていたが、実際に会うのは初めてだった。実のことを言うと、Eと会うときのような胸中のワクワクさというのはあまり感じていなかった。付き合うということになってはいたが、やはりEの姿が心のどこかあって、なにかうしろめたさを感じていた。今思えば、相手の浮気が理由で別れたのにそれに対する罪悪感などを感じるとは、滑稽なものであるが、その当時は彼女に対する怒りを、自分の非を認めることで収めるほ

          新生⑥