大陸横断紀行⑦
あくる日、わたしが運転するレクサスはアメリカ第三の都市、ウィンディーシティの愛称で知られるシカゴに向かっていた。シカゴに近づくにつれ、緑に包まれた田園風景は街々に代わり、さらには地下鉄の線路までが高速道路に挟まれて中心街まで伸びていた。わたしはシカゴには常にあこがれを持っていた。湖のほとりの大都会。昔マフィアが台頭した大都会。戦争に反対し、青の党の党大会で市民たちが声を上げて、政権交代まで引き起こした大都会。わたしのような西部の田舎者にとって、シカゴとは、東部の入り口に位置するただのゲートウェイのみならず、都会の概念そのものといった印象を常に持っていた。無論ロサンゼルスやサンフランシスコも大都会であるが、ロサンゼルスは平野いっぱいに街が広がった分散都市のようなものであり、行ってみれば中堅都市が延々と続く、田舎であったし、サンフランシスコも同じように人口がベイエリア一体に分散した、田舎であった。ダウンタウンに入ると、より一層都会にいるという気持ちが強まった。摩天楼はその名の通り摩天楼で、LAより遥かに多い数のビルが空に向かって伸びていた。その中でも、当時アメリカで一番高いビルだったシアーズタワーズはその存在感を強く主張するかのように黒く聳え立ち、その巨大な影を街に投げかけていた。わたしはこのシカゴに長居をするつもりはなかった。なるべく早く先に進まねばならない。だがしかしわたしは町の中心に車を停めて、シカゴの町に見とれていた。まったくやっていることは田舎者である。
また高速道路に戻り、シカゴを後にした。車は街を離れるにつれ、また緑にあふれる田園地帯に戻った。この辺は通称ラストベルトと呼ばれる地域で、落ちぶれた工業地帯が点々と田園の中に、まるで幽霊の様に浮かび上がっていた。そのラストベルトを一日走らせ、オハイオ州のヤングスタウン当たりで一晩休むことにした。わたしは、また高速を降り、見慣れたモーテルチェーンの駐車場に車を停車させた。
アメリカの旅は単調になりがちだ。どこにいっても同じチェーンのモーテルから選んで泊まることになる。それもどこに行っても同じつくりで同じケーブルテレビが入っている。それに食事だって同じチェーンのレストランかファーストフードを選んで食べることになる。それもファミレスAかファミレスBかの違いだ。バラエティに乏しい。わたしたち日本人は、旅というのは行った土地の珍味を味わい、史跡を訪れ、温泉につかるものだという固定概念がある。それが味わえないのは、ある意味移動しているようで移動していない。一日中運転しても毎晩同じようなところで一晩を過ごす、とても味気ない旅なのだ。
つづく
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