十人十色のその先に…
先日ある方の投稿のささいな一言がずっと頭の片隅に残っている。
「ベクトルが一緒ならみんなバラバラにやらずに一緒にやればいいのに。」
この意見は共通の社会課題解決に向けて動いているプレイヤーが特定地域内に乱立していることを危惧するコメントであるという理解の基に持論を述べたいと思う。
私はこの件に関しては「無理に一緒にやらなくても良いのでは?」と思う。
確かに、大きな課題を解決するためにはみんなで力を合わせて活動した方がより大きなインパクトを産み出すことができると思うし、インディアンの言葉に「遠くへ行きたければみんなで行け」という有名な言葉もあった。
具体例を出すならば、このまちで不登校支援をする団体や個人はみんなで力を合わせよう!という話だと思う。
この例をもっと単純に色で置き換えるなら、「青グループの人はこっちへ集まれ~」ということになる。
しかしながら、広く社会課題として扱われるような課題の構造はそんなにシンプルでは無いと考える。
「十人十色」という言葉がある。
これは、考えや性質が人それぞれ異なることを意味する言葉だが、実際、それぞれの色というのは決して単色では無く、細かいグラデーションがかかっており、また、同じ青色の中にも数多くの似て非なる青色があることを認識しなければならない。
したがって、「この課題にアタックする支援者は青だからみんな同じグループでいいじゃん。」、という理論はいささか乱暴な気もする。
結束し大きなムーブメントを起こすことも大切だが、多様な支援側がそれぞれの色や濃淡で活動しているからこそ、助けを必要としている多様な被支援者に多様な選択の余地が生まれているのも事実であると思う。
グラデーションの理解と尊重は大切だと思う。
最後にこのテーマについて考えるきっかけをくださったある日の投稿者の方に感謝の意を伝えたい。
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