無知の恐ろしさ
高校1年生の冬、正月練習に遅刻しないように駅まで走る途中に事故は起きた。急に胸が痛くなり立ち止まる。「あれ可笑しいぞ」。歩行では胸痛はない、しかし走り出すと再び胸痛が出てきた。引き返さずそのまま学校に向かった。
自然気胸が仮病扱い
部活が始まると再び胸痛が出る。胸の筋を違えたのかと何度も伸ばすが痛みは減らない。先輩に「走ると胸が痛いので出来ることだけやりたい」と伝えると「練習したくないなら帰れ」と言われた。やりたくないならここには来ないが....。
バレーボールには、コートに一人で入り、四方八方にボールを投げられそれを取り行く「ワンマン」という練習がある。それがはじまった。
胸痛に耐えながら「正月早々根性が足りない」としごかれてしまった。
直後、胸痛が強くなり肩に痛みが走った。数日後に病院に行き自然気胸だったことがわかった。
自然気胸は、肺の表面に穴が開き、肺の空気が胸膜腔に入ることが原因で、重篤な場合、胸膜腔に溜まった肺から漏れた空気により肺が潰されてしまい呼吸困難になる人もいて、重度では死亡するケースもあると後で聞いて恐ろしくなった。
呼吸器系の病院に入院し、胸腔ドレナージという治療を受けた。バレーボールを早くやりたい...退院時「部活動に出てもいいが、徐々に運動を始めるように」と医師に言われてが、「徐々に」を都合よく解釈し練習を早々に再開した。
高校は横浜の南部にある進学校だった。学力的にランクアップしての受験だったので、ギリギリで入学だったのだとおもう。賢い人たちがより努力を重ね、勉強にはついていけなかった。学校選びは部活動で決めていた。関東大会に出場、横浜市で何度も優勝するほどの実績を中学の担任が調べてくれたからだ。「ここで3年間やってみたい」。市大会しか出たことがない中学バレー部員としてはえらく憧れた場所だった。入学後直ぐに丸坊主にして、レギュラーを目指していた。
「平野、病気だとは知らずに本当に悪かった」と先輩は謝罪してくれた。場合によっては呼吸困難で救急車ということもあったと皆は説明を受けていた。危なかったが、自分が知らなかっただけだし、先輩は責められない。
ただ「仮病だとか」「やる気がない」と言われた言葉は残ってしまった。
朝練に平気で遅刻するような先輩であったのも、最上級生になったころ、反面教師として受け取ることができた。
ついていないのは、退院後急いで練習を再開してしまい、右肩を痛めてしまったこと。この時も整形外科ではっきりと答えが出ず苦しんだ覚えがある。
こんなようなことを2回も経験したからか、仕事に関わることは特に、無知の無知にならぬようこれからも努めたい。
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