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科学と神は対立しない。

科学者が神の存在を信じているというのは割と有名な話です。
誰もが知っているあのアインシュタインも神の存在を信じています。
アインシュタインが宗教について語った言葉はとても考え深いものです。

「宇宙的宗教では、宇宙が自然法則に従って合理的であり、人はその法則を使ってともに創造すること以外に教義はない。私にとって神とは、ほかのすべての原因の根底にある、第一原因なんだ。何でも知るだけの力はあるがいまは何もわかっていないと悟ったとき、自分が無限の知恵の海岸の一粒の砂にすぎないと思ったとき、それが宗教者になったときだ。その意味で、私は熱心な修道士の一人だといえる」

三田一郎/科学者はなぜ神を信じるのか

アインシュタインですら自らを『無限の知恵の海岸の一粒の砂』と表現しています。彼によれば、無限の知恵の根本にある『第一原因』こそが「神」なのです

三田一郎氏はもっとわかりやすい言葉で科学と神の関係を表現しています。

私が考える「神業」とは、永遠に来ない「終わり」と言うことができます。人間には神をすべて理解することは永遠にできません。しかし、一歩でも神により近づこうとすることは可能です。近づけばまた新たな疑問が湧き、人間は己の無力と無知を思い知らされます。だからまた一歩、神に近づこうという意欲を駆り立てられます。「もう神は必要ない」としてこの無限のいたちごっこをやめてしまうことこそが、思考停止なのであり、傲慢な態度なのではないでしょうか。科学者とは、自然に対して最も謙虚な者であるべきであり、そのことと神を信じる姿勢とは、まったく矛盾しないのです。

三田一郎/科学者はなぜ神を信じるのか

科学においては、神は真に科学的な精神を土台として存在できるものなのです。「神はいない」とばっさり切り捨てるような人は、この科学的な精神に欠けているのです。

念の為言っておきますが「神を信じないこと」や「科学的な精神に欠けていること」を悪いと言っているわけではありません。神を信じる、信じないは個人の自由です。

ただし、私は鍼灸を志す人にはこうした心持ちが必要だと思うのです。

科学と神の対立は、西洋医学と東洋医学の対立に似ています。
気や経絡は存在しないから東洋医学は信じられない、とよく言われます。
しかしそれは科学的な精神に欠けている人間の使う言葉です。

東洋医学は科学が生まれる以前に生まれた医学ですが、その探求は科学的な手法そのものです。
自然の観察に基づいた陰陽理論・五行理論を人体に当てはめて治療方法を考えてきたのが東洋医学です。これはまさに科学的な営みだと言えます。

気や経絡は目に見えないというだけです。
陰陽理論や五行理論をもって治療をすれば、その存在は現象として認めることができます。

陰陽理論や五行理論を学ぶことなく、気や経絡の存在を認めることもできず、ただ解剖学的・生理学的に鍼灸をすることは非常にもったいないと私は思います。

東洋医学にとっては、「気・経絡」が「神」なのです。
「気・経絡」を探求することが「神」に近づくことなのです。
そして「神」に近づこうとする精神は、人の体を相手にする鍼灸師にとってなくてはならないものではないでしょうか。

三田氏の言葉を借りればこのように表現できます。

「鍼灸師とは、人体に対して最も謙虚な者であるべきであり、そのことと気・経絡を信じる姿勢とは、まったく矛盾しないのです。」

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