「生きる」とは

生きるとはなんでしょうか?
深夜にはこんなことを考えて、寝るのが結局遅くなる徒然です。

さて、冒頭で哲学かよと思わせる問いをしましたが、生きることについて誰しも1度は考えたことがあるはずです。この問いに明確な答えはないと思います。しかし一人一人にはそれぞれの「生きる」があって「死」があると思います。必ずしも生きると死が対義語だとは思いませんが。(この話はまたいつか)

なんのために生きる?なんで生きる?生かされてるとも考えることが出来るでしょう。

私、徒然の「生きる」ということは死ぬとき、自分の生命が終わる時に何を思うかを作り上げる作業だと思います。分かりにくいですね。言い換えます。今際の際の為に生きるということです。

仕事をする、結婚をする、子供を授かる、友達と遊ぶ、趣味を楽しむなど人生におけるあれやこれやは死ぬ時に「あぁ良かったな、いい人生だったな(又は悪い人生だったな)」といった感情をもつ為のファクターになるという考え方です。

結局、人は皆、命は有限であるが故に死にます。いくら医療が発達しようとも「死」は免れないでしょう。例え、不老不死の薬が作られたとしても、多くの人がいずれ死を望むかと思います。月並みな表現ですが、「死」というものが「生」というものを輝かせている、まさにその通りだと思います。

私の考え方の中で、もしこの「死」という概念が無くなれば「生」のなかのありとあらゆる事象に意味が無くなってしまいます。「死」というものがあるが故に、残りの人生で何をしようか?と考えます。死というものがなければ、つまり無限、永遠、と表現してもいいでしょう、いずれ感情も何もない生きる屍になることは明白です。「死」があるからこそ、生きることに尊さを見出し、人生における物事の素晴らしさが際立つかと思います。

「生」というものを語る上で「死」というものは必要不可欠な存在で、むしろもう同義と言っても過言ではないのではないかとさえ思う若輩者です。

今このコロナ禍という状況で、普段できていたことが一旦「死」を迎えたと考えれば、これまで出来ていた全てのこと、つまり「生」がより一層の際立って輝き始めるのではないでしょうか。

そんなことを考えながら床につきます。

またいつか。

P.S.

この考え方に至ったわけはひとりの音楽家に出会ったからです。
またその音楽家の話も出来ればと思います。