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【SS】高架下

私はそのとき、平凡な道路と国道にかけられた高架橋へと足を進めていた。
高架橋はそれほど大きいものでもなく、それほど長距離のものでもなく、丘のようになだらかなカーブを描いて、二つの道路を繋いでいる。
私は高架橋のすぐ手前にまで来ると、左右を確認して、近くの横断歩道を渡って高架下に足を踏み入れた。懐かしい気持ちで周囲を見渡す。

この場所は、比較的交通量の多い道路側のマンションや住宅街の子どもたちが自転車を一時横付けして友達としゃべったり、遊んだりした場所なのだった。
昔は大仰おおぎょうな柵もなく、地面も土のままだった。
半ば探検をする気分で足を踏み入れ、友達と演技じみた言葉遣いと感情で、まるで野山を歩き回るように、この場所を歩いたものだった。

高架橋からは、終始、道路を走る車の音が聞こえている。
それだけは、昔から少しも変わっていなかった。
祖父母が言うには、この辺りも昔は田んぼと畦道あぜみちが広がるばかりで、時間が経つうちに徐々に都市開発が進み、今のような光景になったのだと言う。
これは大人になって得た知識ではあるが、道と道路の違いは複数の法律で定義されており、例えば建築基準法によれば、接道義務というものがある。
これは原則として、『建築物の敷地は建築基準法上の道路に二m以上接していなければならない』。ただし、この場合の道路は自動車専用道路等を除く。
この原則を満たし、幅員四m以上であれば道路と認められる。
ただし、幅四m未満であっても、細かく例外があり、
その例外に当てはまると道路とみなされる。

また、自動車専用道路は一般道と同じく、基本的には最高速度時速六十kmであり、高速道路と同じつもりで走行した場合、スピード違反となることがある。
けれども、自動車専用道路も場所によってはこれ以上の最高速度で走行でき、道路一つ取っても、あなどれないのだ。

振り返ってみると、この場所は様々な法律がつくりあげる『文脈』に則って存在が許された場所だ。
子どもの頃には何もわからなかったが。

私は高架下から辺りをながめた。
昔は住宅街も近くにはなく、商業施設やファミリーレストランがまばらに点在するだけだったが、時を経るにつれて住宅街が押し寄せるように道路近くに並んでいる。
高階層のマンション群や、戸建ての住宅。
それらのすぐ側を車が音を立てて飛び交うように走っている。対して、高架下の手前まで来る車はほとんどいない。
安全地帯のように、まるで車が避けているかのように、この高架下手前にはめったに車が寄らないのだ。
天井にある高架橋には終始、車がうなるように走っているというのに。

モータリゼーションの進展。
先進国ではモータリゼーションが二十世紀に進み、都市部では道路交通網が急速に拡大し、都市と周辺地域を結ぶ道路網も急速に発達した。
さらに車は経済と強く結びつき、国の経済力・工業力を強力に押し上げていった。
ただし、人口流出や環境破壊など弊害も生まれ、問題も多い。さらに、国によって、その弊害へいがいも異なる。
けれども、車の使用は今や日常生活と切っても切れない関係であり、未来において、どのようなモータリゼーションが必要かは議論が待たれるところである。

私は高架下を出て、左右を確認してから横断歩道に進む。
渡り終えると向かい側の歩道に足を進めた。
歩道には学校帰りの子どもたちや、制服を着た学生が何人か歩いている。
私にもあんな頃があったと、くすぐったいような懐かしい気持ちになる。
いつの間にか、こんなにも自分は歳を取ってしまった。

私は足を止め、振り返って高架下をながめた。
昨日、市が発行した地域の情報誌とも言うべき冊子を何気なく手に取ったときのことだった。
この辺りの交通渋滞が解消されないまま長く続いており、高架橋を撤去し、道幅を広くした道路網を敷くとのことだった。
渋滞のために高架橋が消えることに別に異論はない。
利便性のために都市が整備され、結果的に人が集中し、住みやすくなることには大いに賛成だ。
だからこそ、今日は、失われる前に高架下の光景をながめに来たのだ。
都市開発は思ってもみないほどの速度で拡大し、見える光景を急流のように変化させていく。

子ども時代の思い出が脳裏に浮かびあがる。
家族で電車を乗り継いで行き、よそ行きの服装で、今は姿を消した渋谷東急百貨店東横店へと行った。その高層階。
そこには家族で食事ができる場所があり、確かには覚えていないのだが、当時、お子様ランチを食べたように思う。
あまりにも昔のことで、両親の服装や両親が何を言ったかも定かではないが、一つ覚えているのは、白い天井に映えた鮮やかな赤い風船だ。
天井は大人が手を伸ばしても届かないぐらいの高い天井で、私ではない他の子どもの手を離れた赤い風船は、ただようようにして白い壁を背景に空にとどまっていたのだった。
白い壁に赤い風船。
その対比があまりにも鮮やかで平和的でいて、ずっと忘れられずにいた光景だった。
誰も取れずにいた赤い風船。
記憶の中でも手に取ることができずにいる。

あの思い出の場所も、もう無くなってしまった。
都市に住む者の宿命とは言え、昔から残っている場所はどんどんと姿を消していってしまった。
都市には強い郷愁がある。けれども、同時に、思い出の場所が消えていく強い哀愁がある。
思い出の光景を再現させることはできない。後から悔やんでも仕方ない。
昔とは違う都市の中で、若い人達がこれからの思い出をつむげば良いのだ。

都市の中に生まれ、そして消えていく思い出。
それらが多重に層を成し、また複雑に絡み合って新たな都市の記憶を文脈として築き上げていく。

私は、すっと視線を青い空へと向けた。
願わくは、時代が経っても、この空の青さだけは変わらないように。
陽光の日差しは、まぶたにほんのりとした温かさをもたらし、私は帰路へと足を進めた。



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東西 七都
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