「言葉を、みすてないで ~文学部部員の日常~」 #06
第三話 一
市立善理高校には占い部と言う怪しげな部活があり、司はなぜか、占い部部長をやたら気に入っていた。
どうも、かなり当たる占いをしてくれるらしい。
占い部に話がうつると、司はいつも話が長くなった。
「そんなに当たるの、その部長のタロット占い」
「ああ。愛唯も、どう? 当たるって言うより、予知だね。あれは」
あまり占いには良い印象を持っていないし、司の話を聞いてもあまり心を動かされなかった。
そもそも、この前、ゴールデンウイーク中に沢野君と話をしたことを悲しげに電話で語っていたのに、休みがあけて一週間もたたないうちにこの様子だから、まいってしまう。休みあけの軽いハイテンションということだろうか。
あたしはと言えば、お母さんから監視されつつ読書感想文五枚をやっと書き上げ、何だか休みらしい思い出が少なかった気もするのだが。
「ゴールデンウイークの前にも、近未来を実は占ってもらっていてね。良く考えれば、あの結果は沢野君との話を暗示させたものだったと思う」
「どんなカードだったの?」
「女帝のカード逆位置。当たっているだろう」
昼休みに廊下で司の話を聞いていても、実物をみせてもらわないことには、どんなカードかわからない。そもそも、あたしは、そのカードも、カードの持つ意味も知らないのだ。
「まあ、見ないとわからないかもね。女帝のカード逆位置は、わがままや倦怠感を表すし、受け身の姿勢や自分本位になりやすいことを意味している。タロット占いは、絵を見て受け取ったインスピレーションも必要だから」
「ふーん、そう言うものなんだ」
わかったような。わからないような。半信半疑で、あたしは言った。
「ああ、でも愛唯。沢野君の叔父さんについては」
「わかってる。沢野君や、沢野君の叔父さんのことを他の人に悪く言うようなことはしない。そうしたことで、お店や個人を差別するような社会は間違っている」
「皆が愛唯みたいだったら良いのにね」
司が、うっすらと微笑んだ。
「ただ、わたしは沢野君の叔父さんに沢野君と、もっと向き合ってほしいだけなんだ。わたしがあのとき何も言わなければ、沢野君は五十年、下手したら死ぬまで叔父さんのことに気がつかないままだっただろう。それだけ、ハイコンテクストな文脈からは真実を読み取るのが難しい。叔父さんが父親代わりをしていなければ、わたしは何も口を出さなかった。ただ、沢野君は、見たところ、青春ゆえの暴走をしていたようにも見えたからね」
司の言葉に、あたしは納得する部分もあった。
良く考えれば、沢野君は進学という重要なことについて、すべて一人で決めて——司の言葉を借りるなら——暴走していた。しかも、その考えを高校で言葉にし、勝手に同級生に広めていた。
一人で生きるには限界があるし、ましてや、沢野君は、まだ高校生だ。自分の人生を一人きりで考えて実行するには早すぎる。そう、あたしは思った。
予鈴が鳴り、あたしは教室のある方に顔を向ける。昼休みが終わりかけていた。
「じゃ、また部活で」
あたしは司に言うと、司はうなずいて進学クラスの方へ向かった。
その日、部活が終わると、司と二人きりで駅まで歩くことになった。
部活中は、矢野先生から私語禁止令が発布されたため、あたし達は、うやうやしく法律を遵守しなければならなかった。部活が終われば、こっちのものだった。
駅までは徒歩十五分程度で、おしゃべりしながら歩道を歩けば、すぐ着いてしまう。あたしにとっては、ほっとできる至福の時間だった。
途中には団地があり、そばには校庭をもう少し小さくした広さの公園もあった。
その場所を通り過ぎるときに、あたしはコンビニで出た、新商品のポテトチップスについて司に話していた。さくっとした軽い歯触りで、ミートグラタン味とクリームコロッケ味のどちらが美味しいと思うか。多分、そんなことを話していたときだった。
「舞ちゃんね、やっと自転車に一人で乗れるようになったのよ」
公園の中央付近で母親が、背広姿の男性に自慢をしている。母親の足元には六歳くらいの女の子と、ピンク色の小さな自転車が停めてあった。
嬉しそうに言う母親の姿に、あたしもあんなときがあったな、と懐かしむような思いで見ていた。
ただ、背広姿の男性にとっては違うようだった。
「それが、どうした。他の子はもっと早くに自転車に一人で乗れているだろう。ちょっと遅い方なんじゃないか」
「あなた——」
驚いた表情で母親が言う。女の子の照れが混じった表情が、みるみるうちに曇っていった。
背広姿の男性はおそらく、父親なのだろう。
あたしは、その様子に少し眉を上げた。
父親は、なおも言った。
「水泳教室はどうなんだ。他の子よりも上手く泳げるようになったのか」
「舞ちゃんは水泳も上手いわよ。そんなことより、あなた。もっと舞ちゃんを誉めてあげて——」
父親は母親の方を見ず、娘の方をじろりと睨んでいる。
「舞、もっと頑張りなさい。自転車に一人で乗ることも水泳も、他の子はもっとできている。お母さんに手間をかけさせるのも、いい加減にしなさい」
女の子は、自信を失くしたようにうなだれた。
見ていられなくなって、あたしは司に視線を移した。
「ねえ、司。何あれ。ひどくない」
司も親子を見ていたようで、あたしの囁く声を聞いて、やっとふり返ってくれた。
「うん。言い方ってものが、あるだろうにね。子どもの才能や成長を全くわかっていない、ひどい父親だ」
「でしょ? あんなことを言われたら、もう自転車も水泳も止めちゃうよね。あたしだったら、翌日から止めてる」
あたしの言い様に、司が少しだけ目を見張った。
「愛唯、それはちょっと。あまりに感情の起伏が激しくないか」
「でも、『子どもの才能や成長を全くわかっていない』って言ったの、司じゃない。それくらい、感情の振れ幅があることを父親が言ったんだから、結果的に、そうなっても仕方ないじゃない」
「じゃあ、愛唯は、どう言う言葉をかけたら良いと思う」
あたしは、やり込められたように言葉に詰まってしまった。
どういう言葉を女の子にかけたら良いか?
「うーん、それは——」
突然、パシンと鋭い音が響いて、瞬時にあたしはそちらの方を見た。
先ほどとは別の親子が、公園の隣にある歩道にいた。
両親ともに、普通の人の二、三倍は横幅がある体格の人達だった。父親が手を振り上げて、小さな男の子の背中に平手打ちをしていた。そのときの音が響いて聞こえたのだ。
不思議なことに、平手打ちを受けたのに、小さな男の子はニヤッとした笑みを一瞬浮かべた。
母親は二人が来るのを待っていたようで、公園の金属製の柵にもたれていた。直前まで携帯をいじっていた様子だった。
父親のその行動を見るなり、母親は火がついたように叫んだ。
「もう、どうして、そんな怒り方するのよ! そういうの止めてって言ったじゃない。子どもが怪我したら、どうするのよ!」
「こいつがウロチョロして走り回るから——」
「走り回るのなんて、子どもだったら普通でしょ」
「でも、今日も店の中で走り回っていたんだよ。人の迷惑を考えないで」
「仕方ないでしょ、子どもなんだから——」
母親がそこまで言い、あたし達と目が合った。ぎろっと睨まれた感じがして、あたしと司は黙ったまま親子を通り過ぎた。
そのままずっと歩いて、親子に話を聞かれない距離まで来て、司が唐突に言った。眼鏡のブリッジを少し指で押し上げている。
「現代の親子関係ってさ、ああいうものなのかな」
「うーん、家庭によるとは思うけどね」
あたしは両腕を組んだ。
「でも、どっちの家庭も、子どもをあまり見ていない気がする。何て言うか、極端な感じ」
「そうだね。特に、二番目に見た親子が、わたしにとっては印象的だった。父親から平手打ちを受けた後に、ニヤッと一瞬、笑っていただろう。あれは、母親が間近でそれを目撃するとわかっていたから、ニヤッと笑ったんだよ。子どもでも、母親が擁護してくれるか、そうじゃないかは、すぐに見破れると言うことだね」
「ふーん。そう言うことなんだ。子どもでも、瞬間的な状況判断ができたって言うこと?」
「その通り。まあ、子どもの観察眼も舐めてかかってはいけないと言うことだね」
「司って、外に出ると人を観察して推理してしまうの? 今みたいに」
「まあね。そもそも、都市には人が多く集まる。観察して無駄なことはないよ」
「でもさあ、不用意に人に近づいたら、何されるかわからないでしょ。殴られるかもしれないじゃない。あんまり、人の心を見透かしたことを言うと、良くないんじゃない」
「ああ、そうだね。それは思うよ。愛唯の言い分は正しい」
少し顔をうつむかせて司は言った。
その表情を見ると、過去に何かあったのかもしれない。あたしに、そう予感させる暗い表情だった。