
08/もらった評価を評価する自由を持て
ツイッターで#いぐちの1日1ポエムと称して、日々の気付きを投稿しています。その「ポエム」の意図などを、備忘録的な意味と、共感してくださるひとがいたらいいな、という目的で書き残していきます。はじめたきっかけなどはこちら
なにか行動を起こせば、なんらかの評価をされる。それはアウトプットする以上どうしても避けられないものだ。うれしいものも、かなしいものも、ちょっと憤るようなものも。
評価に一喜一憂せずに、評価を狙いつづける胆力 #いぐちの1日1ポエム
— 井口陽介(いぐち)/クリエイティブのひと (@toysleft) February 23, 2020
そのひとつひとつの評価に一喜一憂してしまうと、行動の目的や、私的でひっそりとした(でもあつい!)動機などが失われてしまうこともある。
わたしたちは、わたしたちが思うよりずっと傷つきやすくて、永遠を感じるほどつよく燃えさかる熱意も、たやすくその勢いを失う。たったひとことで。
評価は、もちろん他のだれかからいただくもの。でもその評価をわたしがどう評価するかという自由をわたしたちは持っている。ゆっくりたいせつに育てた熱意に冷水を浴びせるような評価なのであれば、その評価を、わたしたちがぷいっと評価しなければいいだけだ。耳をふさげ。わたしたちには、その自由がある、という自覚はだいじだ。すごく。
しかし
同時に忘れてはならないこと。だれの評価を得られないものは、結局サステナブルではないということ。わたしたちの行動のほとんどは、だれかの評価によってその持続が許されている。熱意だけじゃ足りない、という残酷な事実もまた理解しなきゃいけない。
目の前の評価のひとつひとつに、歯を食いしばり、真剣なまなざしを向ける。そのうえで一喜一憂しない胆力でもってじぶんとその行動を支え、大きな評価をもとめて歩むしかないのだな。
でもやっぱり
じぶんが心からたのしい!とやっていれば、うまくまわっていくような、そんな世界があればいいと思う。そんなエコシステムを目指すこのnoteは、とても共感できるなぁと思うのです。