生きてていいんだよ!!
「生きてていいんだよ.」
そう言ってほしくて,何とか頑張って生きてきた.
幼い頃の私は,何かを頑張れば,あるいは何かで結果を出せばこの言葉を貰えると思っていた.
年を取って気付く,生の肯定は頑張ったことへのご褒美ではないし,自分が出した結果に応じて与えられるものでもない.
無条件で自分自身の中に「生きてていいんだよ」製造機を持っている人も居る.それを羨ましいと思う時期もあったが,ないものねだりをしても仕方がないと気づいた(諦めた).
また自分の中に「生きてていいんだよ」製造機が無くても,生まれつき周りに無償でこれを供給してくれる環境がある人も居る.文字通り「生まれつき」のものだから,後天的には入手できない.
ただ,生の肯定が無いと生きていくのは結構しんどい.それならば自分で勝ち取ろうではないか.でもどうやって?
前述の通り,何かを頑張ってこの言葉を貰ったことは一度もない.でも何かを頑張っていないと,自分の中の「生きてる意味あるの?」がムクムクと首をもたげてくる.だから頑張らないわけにもいかない.
そんなに簡単な問題じゃないことは重々承知だ.そこいらの若造とは悩んできた年数が違う.(冗談です,ごめんなさい.)
最近,自分の居場所は自分で作れることを知った.それはバイト先だったり,会員制自習室だったり,公共のジムだったり,近所でやってる寄合だったり,……そこにいる間は「居ていいよ」と言ってもらえている気がする.つまりは「生きてていい」ということ.
少しずつ居場所を増やす.公共施設のように時間もお金もかけずに「居ていい」場所はいろいろ見つけたが,その分「生きてていい」感はそれほど強くない.
次に自分が手に入れようとしている居場所は「職場」.ある程度信用のおける会社に,正式な職員として雇ってもらおうとしている.諸事情あってもう少し時間はかかりそうだけど.
仕事はつまり社会における自分の役割で,生きてていい理由そのもの.そして職場はその役割を全うするために「居ていい」場所.こんなに「生きてていい」感を感じられる場所は他にあるだろうか.
あるか.家庭とか,実家とか……?
人によるとは思うが自分の実家はそういう場所ではなかったし,家庭を作るにしても順番的に職場を得ることが先であるような気がする.
それと,これは全く偶然に,自分に「生きてていいよ」と言ってくれる人が現れた.言葉はそのままではないけれど,そういう趣旨の言葉を時々言ってくれる.
とりわけ交友関係が広くない私なりにそういう人と出会いたくて色々と努力はしていたのだが,それでも実際に出会えたのは偶然,奇跡だった.
もし今進捗している物事が実を結べば,自分はとても大きな「生きてていい」理由を少なくとも2つ手に入れることになる.そんな状況は生まれて初めてで,既にかなり戸惑っている.
きっと大きな充足感とともに,失うことへの多大なる不安も一緒についてくることだろう.それに耐えられるようになりたい.
不安とはとんでもなく長い間,一緒に歩いてきた.手懐け方は心得ている.しっかり時間をかけて努力すること.
あれ,結局努力してる.
まぁ良いか,誰かに迷惑かけたりはしてないだろう.