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飲み会、キャッチボール、風呂

 下戸で,飲み会なるものを極力避けて生きてきた.そもそもそれほど社交性が高い方でもないので,飲み会を楽しいと思ったこともあまりない.

 大学生くらいからこの傾向はあるが特に社会人になると,コミュニティに属するために飲み会に行く必要が出てくる.正確に言うと,「コミュニティに所属するつもりがありますよ」「皆さんと仲良くしたいですよ」という意思表示の場として,飲み会が利用される.
 その飲み会で上手く立ち回ろうとする事こそが即ち,そのコミュニティへの従属を表す.

 私はこの風習が苦手だ.皆様と仲良くなりたい気持ちはあるし,コミュニティないしチームに貢献したい気持ちは誰よりも持っていると自負している.ただ,なぜ酒の場でないといけないのか.
 下戸がコミュニティに所属するためには,酩酊している方々のノリに素面で合わせるという至難の業をこなすことが必要不可欠なのだろうか.


 持論だが,誰かと親密になるのにキャッチボール以上に最適な行為は無い.
 キャッチボールではボールを山なりに投げるため,必然的にある程度距離を取る.でも会話をするためには少し近づく必要がある.もう少し深い話がしたくなったらさらに距離を詰めるし,別に会話がしたい気分でなくなれば距離を離せばいい.

 まずは相手が受け取りやすい場所と球速を見極めること,イコール相手への気づかいが不可欠だ.互いにどんな人か知らないと,リズム良くボールは往復しない.いつまで経ってもスムーズなキャッチボールが成立しない場合は,その二人は相性が悪いのかもしれない.

 会話をキャッチボールに喩えられる場合が多いが,こうして考えてみるとやはり共通している点が多い.

 ただ現実的には運動が嫌いな人も多く,初対面の人と話をキャッチボールまで持っていくのは難しい.時間と場所も限られる.やはり「飲みに行きませんか?」は忙しい現代人にとって便利なツールなのだろう.


 もう一つ,「一緒に銭湯に行く」行為もまた,誰かと仲良くなる上で飲み会を超える手段の一つだと思う.
 「裸の付き合い」とはよく言ったもので,全裸同士だと何だか相手も同じ人間なんだという気がして,警戒心が少しほどける.お酒好きな方々がアルコールで抑制を外すように,服を脱ぐことで抑制を外す.余計なことまで言ってしまったり,余計なことを聴いてしまったりしながら,すこし相手のことを深く知れた気になる.
 飲み会の何分の一かの料金しかかからず,もし会話が弾まなくても「大きな湯船に入った」代を支払ったと思えば納得できる(あくまで私は).

 ただ銭湯も人を選んでしまう場の代表格の一つだ.そもそも同性でないと同じ湯船には入れないし,他人と一緒に風呂に入ることを嫌がる人も多い.
 これもまた飲み会よりは誘いづらい,といったところ.


 あれこれ御託を並べたが,どうも私は結局飲み会に行かなければならないようだ.これまでと同じように.

 でもやはり「今日キャッチボールしない?」「このあと風呂行かない?」と気軽に誘える人としか,本当に親しい関係は築けない気がする.何とも不便な性格だなぁ.

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