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小学生時代,国語の教科書
私の小学生時代にはあまり良い思い出が無い.忘れ物をして先生に怒られて,怒られるのがイヤで仮病使ったら親に不味い薬をあれこれ飲まされて登校して,授業は退屈で,給食は食べきれなくて,残したパンを一生懸命隠したり捨てたりして(ごめんなさい),そんな毎日.
体育の時間は好きだったか,いや体育の時間も先生の都合でよく分からない競技させられてイライラしてたな,笑.
生まれつきの体型にコンプレックスがあったからプールで裸になるなんて最悪だった.実際には誰も気にしてないんだろうけど,それに気づいたのは大人になってからだもんな,当時の自分は救われない.
休み時間に外で遊ぶのは大好きだったけど,ヤンチャな上級生たちが出てきたらそれも終わり.逃げたら逃げたで因縁つけられるので,全然気にしてないフリしながら,めちゃくちゃビビりながらドッヂボールしてた.この気持ちがわかる人は居るだろうか.
最近,当時の国語の教科書に載っていた作品に再会することが多い.ネットに落ちている書評だったり,SNSでふと見かけたり.大概は電子版になっているので,久々にいろいろ読み返してみた.
まず率直に,小学生時代の我々はこんなに難解な文章を読まされていたのかと驚愕した.大人になってから読む本は買う前に試し読みするから,ある程度読みづらい文章は避けていたのだろう.しかし教科書に載っているとなると読みたくないでは済まされない.
そりゃこんなの最初に読まされたら活字嫌いになるよなと,教科書製作者の意図を無視して言ってしまいたくなる.
当時私は塾に入れてもらっていたこともあって,成績は割と良かったような気がする.国語についても特に苦手意識なくやっていた.(教科書を眺めるのは退屈だったが.)しかし当時載っていた作品を今読み返してみると,当時の自分が全く文章の意味を理解していなかったことを思い知った.
何だか冗長で古臭い文章だったなぁ程度の印象しか残っていなかった作品も,今読むと感情が大きく揺り動かされる.当時はあんなに視線が教科書の上をツルツル滑っていたのに,そこに載っていた作品は昨日書店で手に取った小説と同じくらいか,あるいはそれ以上に今の私の心を打った.こんなに素晴らしい作品たちをまとめて載せてくれている書物が配られていたなんて,当時の自分が羨ましい限りだ.
自分はどうやって国語のテストで点を取っていたのか,気になり始めた.テストで求められる能力が,文章を深く理解するためのそれとは異なるものだから,ということなのだろうか.
テストに意味が無いなんて微塵も思わないが,難しい文章を読ませて結局簡単な技術を修得させるのは,なんだか遠回りにも感じる.もう少し読みやすくて面白い物語が載っている教科書だったら,授業の退屈さも軽減されていたのかも.そんな物語は中々無いから,何十年も前の作品が載っているのか.せめて現代語に訳してほしかったなぁ,安直かな.分からないものを分からないままにして,意味が自ずから通ずるのを待つということを求めているのだろうか.少し理想的すぎる気がしなくもない.