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未来予言と未来予測

予測の同意語は、
予知・予報・推測・予言・予見・憶測・推測・推定

「未来予言」
「未来予報」という言葉の違い。

その昔は、
「天気予報」も、
「天気予言」だった時代があった。

そう考えると、
不確かな予測には、「予言」を使い、
確率性が上がってくると、
「予報」となるのか。

もしあなたが本屋に行って、
「2021年の未来予測」
「2021年の未来予言」という2冊の本があったとしよう。

あなたはどちらを手にするか。

「未来予報」だとインパクトがないが、
「未来予言」とした方が、ひとの心を惹きつける。

つまり面白いことに、

不確かな未来の方が、ひとの心は引き寄せられる。

何故かというと
そこに、曖昧さ、
それを翻す可能性を期待できるからだ。

楽しみにしていた旅行も、
90%雨だと予報されるのか、予言されるか。

「予言」という言葉には、
不確かな要素があり、そこに人は可能性を見出すことが出来る。

「明日晴れるかもしれない」という。

30年前までは「天気予言」

天気予報は、1990年以降にコンピューターによる予測が主流となったが、それ以前は、人間の手により天気図を作り、経験や勘によって天気予報を出していたという。

今や世界中から気圧・気温、大気の状態、水蒸気量、地上の放射熱など様々なデータが送られ、それらのビッグデータは人間の頭で処理する事など不能なので、スーパーコンピューターで処理、それにより、ピンポイント地点の天候まで予測できるようになったという。

運命学も同じ流れになるかもしれない。

私が学んだ20年前は、手書きで命式表を算出した。
当時の鑑定士の役割は、計算することが役割であり、よって、解釈も画一的なものだった。

それが今やコンピューターで計算する時代。
私たちの仕事は算出から解釈へと変化している。
まだビッグデータは組み込んでいないが、本家中国では組み込み始めているのではないかと思う。(これは推定)

それでは、運命学も天気予報と同じく、
多くの人をデータベース化することで、
ピンポイントの人物の予測が可能になるだろうか。

購入履歴やSNS発信、行動履歴など、膨大なデータを組み込むことで、
運命予測は可能になると思う。元々術数式という数字で構築されている理論だから。

そうすると、「予言」ではなくなり、「予報」になる。
運命予報。
そこには、曖昧さ、それを覆す可能性など介入する余地がなくなり、
今だかつてない、新たなデジタル中央集権国家が登場するだろう。



デジタル中央集権国家


ローマ帝国も、中国王朝も、歴史を振り返ると
異民族(被征服民族)を奴隷化することで、自国民の文化や生活水準を維持してきた。

民主化は非常に新しい、つい最近の政治体制で、
これが持続可能になるかどうか、2021年にかかっている。

コロナは民主主義にどう影響していくだろうか。

AIは奴隷を開放するのか、新たな奴隷化の始まりなのか。

AI社会において、人間性はどのような形で残るのか。

リモートは私たちに自由を与えたのか。それとも身体に装着する新たな人事管理システムが登場して、AI奴隷化していくのだろうか。

運命学では、時代のパラダイムシフトの際は、
3年でその方向性が大方決まり、
5年経つと現実的な区分が明確になり、
7年目には新たな社会構造が出来上がるという。

2020年に見えてきた新たな方向性は、
2023年には定着し、
2025年には、現実的な区分が行われ、
2027年には、新たな社会構造の下から上に上がるのは、
非常に難しくなるかもしれない。

上の民は下の民を予測し、
下の民は、僅かながらの可能性を求めて、
予言という言葉を求めていく。

歴史を読むとその流れが明確に読み取れる。

今何をすべきか。

朝の勉強会の時に学んだ、
二宮尊徳の言葉が印象的だった。

パラダイムシフトの際は、
「マニュアル」「きれいごと」が通用しない。
大切なことは、地道なまでの現実観察力。
知識、情報ではなく、五感を信用すること。
Give&Takeではなく、
Take&Giveの精神に切り替えない限り、何も始まらない。

歴史の学びこそ、何よりものコンサルティング

一般社団法人数理暦学協会 山脇史端


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