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東洋古典から捉えるSDGs!

四書五経「大学」からSDGsを捉えてみた。
「大学」とは、大人として学ぶべき学問。
朱熹も、四書五経を学ぶには、まずはこれから学べと述べている。
そこに何が書いてあるか。朝の15分間勉強会の内容を抜粋しながら捉えて行きたいと思う。

大学とは、大人(たいじん)の学なり。つまり、大人の学問である。
それでは、「大人」の規定とは何か。
子供の頃、『小学』にて掃除や挨拶の仕方、立ち居振る舞い、さらには世の中のしきたりや音楽の演奏、弓矢や馬の御し方、読み書き、算数を学び、きちんとした基礎教育を受けた者が「大人」である。

つまり、小学教育をきちんとマスターしていない人たちに、企業理念だ、目的意識を持って働けといってもそれは所詮無理な話であり、話は通じない。故に、まず必要なのは基礎教育である。

『大学』×SDGs

大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親たにするに在り、
至善に止まるに在り。
止まるを知って后定まる有り、定まって后能く静に、静にして后能く安く、
安くして后能く慮ばかり、慮ばかりて后能く得。
物に本末有、事に終始し有。先後する所を知れば、則ち道に近し。

大学教育にて目指すものは、明徳(人間なら誰でも持っている生まれつきの徳(四徳))、自分一人が徳のある人になれば良いというのではなく、廻りの人達にも影響を与え、悪習をとりのぞき、善い世の中にしなければならない。

人間誰しもが本来所有している徳を高めることがまず大切なのだが、孔子曰く、これは人間誰もが本来持っている質なのだが、時処位、環境や時代や立場によって、それに気づかない。つまり性善説なのだが、この説は孟子によって拡大されるのだが、「人は本来はみな、徳を持っている」という論理、つまり、みんないい人なんだから、それに気づけばよいだけだよ。といっている。

それでは、どうして、それを発揮できないのか。
それは、時処位、つまり時代と環境と役割という条件が影響するからだ。

例えば、動乱時代の軍人の息子として生まれたら、「いかに敵を倒して成功を手にするか」という教育を受けるだろう。
時代と環境は自然の産物かとういと、そうではなく、時代とは、人間社会が作りだすものである。

ということは、人間社会そのものを変える必要があり、それにはどうすれば良いかというと、まず、己自身が徳人となり、その良い影響を周りに及ぼしながら、より良い社会を作りだすこと。

徳人とは、仁義礼智 思いやりがあり、義侠心があり、礼を尽くす謙譲の心があり、何事からも学びとれる力、冷静な判断ができる人物だ。

そのような人物になることをまず目指そう。そして、その影響が多くの人たちに伝われば、善き世の中になり、善き世の中になれば、環境が整い、人間は本来徳人なので、自然に徳人になれる人が増えてくる。というサスティナブルな循環理論だ。

これはSDGsの概念と同じこと。

SDGs「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」とは、その目標(理念)を17種類にまとめ、全世界の人が同じ方向に向けて進むという共通意識だ。

地球環境や人類の共存を「17種類の善のゴール」に分類し、その目標に向かって、自分一人の行動から始めてみる。その行動が周りの人に影響を与え、企業活動、社会全体に影響を与え、地球・人類が2030年に向かって一つになって向上することを推進している活動だ。
それにより、地球環境が整い、住みやすい環境になる。
そうなると、人々は安心して暮らせるようになるので、人間が本来所有している善の気持ちが高まり、良い社会を作りだしていく、サスティナブル(持続可能な状態)にすることこそが大切だという理念だ。

この理念をサスティナブル(持続可能にする)にはどうしたらよいか。
これについて、榊原教授のメッセージを元に考察していきたいと思っている。

SDGsと禅

当協会の福井支部 東洋古典塾の榊原教授はこのような解釈された。ちなみに教授は原子炉の安全工学を専門にされている科学者で、福井大学にて構造解析学や量子エネルギー応用論を指導される工学博士。
故に、教授の東洋古典の捉え方は科学的で構造的で、非常にわかりやすい。

私の頭の中では、「大学」に対し、「道元禅師」の成長の段階を当てはめて考えてみました。
つまり、「発心」=まずは知ること、

そして、「修行」=体験し、経験してその本質を知ること、
「菩提」=達成しべき目標をしっかりと定めること、
「涅槃」=悟りの境地=「善」と、仏教に置き換えて捉えてみたのです。

「悟りに至った」つまり、これが「善だ」と感じた時点で、それを感じる事自体が自惚れであり、実は、禅では、それを未だ悟っていない状態であると捉えます。
故に、未熟である自分に気が付き、再び「涅槃脱落」=再び、振出にも戻って新たな目標に向かって「修行」するという理念そのものが、道元禅師の唱えた成長段階になるのです。
逆に言うと「まだ善に至っていない」と自省し、脱落する、再び「涅槃」を得ることの繰り返しが、「涅槃」の状態を保つことを意味し、その状態になるという境地が、廻りの人にも気づかれない「悟り」の状態のことを言います。

① 『発心』今の問題点を考察し、自覚すること。
② 『修行』実際に体験することを通して、その本質を知ること。
③ 『涅槃』達成すべき目標を明確にし、何がベストな状態なのかシュミレーションを行う。

そして、最も大切なことは、
④ 『脱涅槃』
ゴールに至ったと思う事自体が自惚れであり、もう一度問題点を見直し、①~③の作業を続ける。つまり、実際に至ったと思われる現状を体験し、本当にゴールに至っているか知る(修行)そして、再度それが本当に目標が実現化されている社会なのか再考察する。
自己活動の否定を繰り返すことで、本来の目標に一歩ずつ近づくという活動こそが、サスティナブルであり、それこそが禅的解釈のSDGsとして捉えていくという解釈のようだ。

味噌臭くない味噌

更に、榊原教授の思考は深く、味噌臭くない味噌」と表現している。

どういう意味かというと、すでに美味しい味噌になっているが、味噌臭くないので、誰も味噌だとは気が付かない。しかし、舐めてみて初めて、これは美味しい味噌だと気が付く、という状態なのだそうだ。
つまり、既に悟りを開いているのに、誰も気が付かない状態なので、周りに影響を与え続けていくことが出来る状態という解釈だ。

「SDGsを実践している」と提唱し、バッチをつけてわが社はこんな活動をしています!というのは、「味噌臭い味噌」。

本当に良い味噌とは、「味噌臭くない味噌」
つまり、企業理念としての本質は何かと、常に反芻し、自らの行動を戒め、試行錯誤を繰り返す、その地道な活動がこそが、ひとの心に「感動」という波動を与え、この波動が連鎖していく。これが禅的なSDGSの解釈になる。

そして実践している本人達は、あくまでも、まだまだ、これはベストではないと、自らの行動を戒め、地道な活動を続ける、その姿こそが多くの人に感動を与え、人を動かす力になる。
これこそが、持続可能なシステムではないかという説明だった。

科学者からみた格物致知

最後に、榊原教授は科学者として、次の解説を付け加えて下さった。

科学技術では、自然現象の「理」を探求し、解明することが目的となります。ところが目の前にする現象は、限られた条件の下で起きる限られた現象にすぎず、それらのいくつかの実験・観察結果から、その現象の本質的な元がどこにあるか、何が原則なのかを探求します。

しかしながら、それもある限られた条件下での現象でしかないかもしれません。そういうことで、仮説を立てて、原理原則を公式化してシミュレーションコード(計算科学的手法で現象を推測する方法)を使って、複雑な現象を推定することで、いかなる条件においてもその因果関係(メカニズム)は、必要十分条件を満たしていることが証明されれば、別の条件で起きそうな現象を推測できるようになります。このような状況のことを「格物致知」であるかと感じました。

SDGsに則った活動は、一体どのように実証するのだろうか。その活動により地球環境が是正されたと豪語しても、これは限られた条件下で起きる、限られた活動にすぎず、科学的にそれを実証するには、その活動が環境保全や人類の未来に役立っているか、様々な科学的計算手法を使って推測し、その因果関係(メカニズム)を証明することが必要になる。

だが、ゴールに向かって歩み続ける姿の持続性、そして、それに対する共感性という心の連鎖による拡大現象の因果関係は、事実として捉え、そこに至るまでの必要条件を何らかの形で論理化できれば、そこに新たな道が開けるのではないか。
実はその方法は、2500年前に記されており、それこそが、『大学』に記されている、格物致知という理論であり、禅の考え方でもある。

東洋古典を学ぶことで、今を学ぶ!

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