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過去は変えられるのだろうか?

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。」

という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。

この言葉はカナダの精神学者であるエリック・バーン 氏が述べた名言だそうです。

エリック・バーン氏/wikipediaより

確かに他人を変えることは難しいでしょう。

一方で、過去の事実は変えることはできなくても、

過去についての捉え方は変えることができるのではないかと考えます。

本ブログでは、『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!(苫米地 英人)』/開拓社 より引用し、過去の考え方について考察します。

■ 時間は未来から流れている。

未来が過去をつくる
 では、どうすれば「これまでの自分」を丸ごと捨てることができるのか?
 まず、時間に関する考え方を反転します。
 私たちは一般的に「時間は過去から現在、未来へと流れている」と考えています。これは、「絶対神がビッグバンを引き起こして宇宙を創造し、そこから玉突きをするように次々と因果を起こして現在に至っている」という古いユダヤ・キリスト教的な考え方にもとづく時間観です。私たちはその影響下にいるわけです。しかし、この時間観は本当に正しいのでしょうか。この時間観も、古典的な西洋のモノサシにすぎません。
 一方、アビダルマ仏教哲学では、「時間は未来から現在、過去へと向かって流れている」とされています。現代分析哲学でもそういう見方があります。私はこの時間観に賛同するものです。
 自分が川の真ん中に、上流の方を向いて立っていることを想像してください。
 上流から赤いボールが流れてきます。手を伸ばしてそのボールを取るか否かはあなた次第。仮に、赤いボールを取らなかったとしましょう。
 しばらくすると、次に青いボールが流れてきます。しかし青いボールが流れてきたのは、あなたが赤いボールを取らなかったこととはなんの関係もありません。ただ青いボールが流れてきた。それだけです。つまり、「赤いボールを取らなかった」という過去は、「青いボールが流れてきた」という未来とはなんの関係もなく、過去は未来になんの影響も与えていないのです。
 このように、時間は川の上流という未来から、あなたが立っている現在へ、そしてあなたの後方の過去へと流れているのです。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!(苫米地 英人)』/開拓社

時間は過去の積重ねと考えていましたが、

その考えはユダヤ・キリスト教的な考えであったと初めて知りました。

確かに視点を変えれば、未来が過去をつくるという考えかたの方が建設的でポジティブなイメージを抱きました。

■ 未来が過去をつくる具体例とは?

「そうは言っても、自分は努力しなかったから三流大学にしか入れなかったし、今も三流企業でこき使われているのだ」と言いたくなるかもしれません。
 では、こんなケースを考えてみてください。
 会社の帰り道にサプリメントを買うためにドラッグストアに寄ったとします。
 しかし、たまたまレジの前に行列ができていました。
 あなたは行列に並びしばらく待っていましたが、なかなか前に進まないので面倒になり、サプリメントを棚に戻し、「ついてないなあ」と思いながら、わざわざかなりの遠回りをして別のドラッグストアに行きました。すると、その店では先ほどの店よりも同じサプリメントが2割も安く売っていました。あなたは「ラッキー」と思いながら足どり軽く帰宅しました──。
 この例では、1軒目の店の行列をあなたは「ついてない」と思いました。しかし、2軒目の店で目当ての品が安く売っていたことで、1軒目の「ついてない」が「ラッキー」に変わりました。ということは、「未来によって過去が変わった」ということ。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!(苫米地 英人)』/開拓社

このドラックストアの例えは、わかりやすく秀逸だと感じました。

過去の過ちや失敗も、未来が良ければ「良い経験だったね」と言えます。

その経験を私たちは何度もしていますが、

そのように捉えることができていない自分に気づきました。

■ 行動宣言

以上の引用から、過去の起きた出来事の事実は変わらないと感じました。

しかし、未来を創る過程で、その捉え方を変えることができます。

このことを踏まえて行動宣言です。

1、未来を変えれば、過去も変えられるという捉え方をする。

2、過去を悔やむことをしない。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

これからも学びについて発信していきたいと思います。


近くの考古館にある茶室 7月

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