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なぜ働いていると本が読めなくなるのか

興味深いタイトルの本と出会いました。

今まで、仕事の忙しさを言い訳にして、本を読めないことを肯定していました。

本書を読み、読書について分析して読む大切さを知りました。

本ブログでは、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆(著)』より引用し、本を読む姿勢について整理し、自身の行動宣言をしていきます。

▫️本が売れなくなっても、広がっているある市場

「日本人の読書離れが進んでいる」

「本を読む時間がない」

こんな言葉を耳にすることで、一般的に「忙しいから本が読めない」という論理に陥りがちです。

私もそう思っていた一人でした。

一方で、労働時間はどうでしょうか?

労働環境においても、週休2日が当たり前になり、残業も抑制される方向にあります。


それならなぜ、「読書離れ」と言われるのでしょうか?

読書というものを分解すると、ある市場は伸びていることが示唆されています。

読書離れと自己啓発書  本書は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というタイトルを冠している。  普通に考えれば、長時間労働によって本を読む「時間」を奪われたのだという結論に至る。だが第一章では、それにしては日本人はずっと長時間労働を課されてきており、現代にはじまったことではない、と指摘した。  序章で引用した映画『花束みたいな恋をした』の麦は、長時間労働に追われるなかで、「パズドラ」はできても「読書」はできない。「パズドラ」をする時間はある。でも「読書」はできない。ここにある溝とは何なのかを知りたくて、私は近現代日本の読書と労働の歴史を追いかけてきた。  戦後、本が売れていた。とくに戦後の好景気からバブル経済に至るまで、人口増加にともない本は売れていたし、読まれていた。しかし 1990年代後半以降、とくに 2000年代に至ってからの書籍購入額は明らかに落ちている(第六章〈本をみんな読んでいた?〉参照)。  しかし一方で、自己啓発書の市場は伸びている。  出版科学研究所の年間ベストセラーランキング(単行本)を見ると、明らかに自己啓発書が平成の間に急増していることが分かる。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆(著)』

■自己啓発書の特徴とは?

それでは、自己啓発書の特徴はなんでしょうか?

今の時代に売れる理由を読み解きます。


自己啓発書。その特徴は、「ノイズを除去する」姿勢にある、と社会学者の牧野智和は指摘する(『日常に侵入する自己啓発―生き方・手帳術・片づけ』)。  たとえば現代の自己啓発書の一種である「片づけ本」、いわゆる片づけによって自分の人生を好転させると説く本に、その姿勢は顕著である。「片づけ本」は、好ましいもので部屋を満たすことを重視する。そこにあるのは、私的空間は心を浄化するような聖化された居場所になっているのが理想だ、という価値観である。  しかし牧野は、このような価値観に対して「そのような聖化を行わねばならないほどに、私的空間の『外部』が俗なるもの、偽りのもので充たされているという感覚が分けもたれているのではないか」と指摘する。  つまり、部屋 =私的空間をときめくもので「聖化」するという行為は、「聖化」を必要とするほど社会 =外部が居心地の良くないもので埋め尽くされている、という感覚によって成立する。しかし「片づけ本」のロジックは、部屋をときめくもので埋め尽くせば、いったん社会は捨て置いて、自分の人生はときめくものになる、という論理になっている

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆(著)』

「ノイズを除去する」これはとても興味深い考察です。

それにより、私たちは内部を聖化している。

このように客観的に考えることはとても大切だと思いました。

整理すると、〈部屋〉=私的空間を「聖化」することが、自分の〈人生〉が好転することに直結する、というロジックが「片づけ本」の趣旨である。しかしそこには、本来〈部屋〉と〈人生〉の間にあるべき〈社会〉が捨て置かれているのだ。
そしてそれは、自己啓発書というジャンル全体に言えることである。  

<中略>

自己啓発書の特徴は、自己のコントローラブルな行動の変革を促すことにある。つまり他人や社会といったアンコントローラブルなものは捨て置き、自分の行動というコントローラブルなものの変革に注力することによって、自分の人生を変革する。それが自己啓発書のロジックである。そのとき、アンコントローラブルな外部の社会は、ノイズとして除去される。自分にとって、コントローラブルな私的空間や行動こそが、変革の対象となる。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆(著)』

自己啓発書 →   自己をコントローラブルな行動の変革を促す。

本書を読み、自己啓発書の分析について納得しました。

では、自己啓発書が売れることは、どのような社会の状態だと示しているのでしょうか?

▫️ノイズを除去しようとする社会

1990年代の自己啓発書『脳内革命』が唱える、「脳内ホルモンがすべてを決める」という言説。それは眼前の出来事に「自分がどう感じるか」をコントロールすることによって、人生を好転させるというロジックである。自分がコントロールできる範囲――つまり感情をコントロールすることによって、自分の人生を変える。そう、ノイズのないポジティブ思考こそが、良い脳内ホルモンを分泌させるのだ。  そこに社会は存在しない。なぜならアンコントローラブルな社会という存在は、個人にとって除去すべきノイズだからだ。  自己啓発書は「ノイズを除去する」姿勢を重視している。  ノイズのなさ。これこそが自己啓発書の真髄なのだとしたら。自己啓発書が売れ続ける社会、牧野の言葉を借りれば「自己啓発書が書店に居並び、その位置価を浮上させるような社会とは、このような感情的ハビトゥスが位置価を高め、また文化資本として流通するような社会」(同前)は、ノイズを除去しようとする社会のことを指す。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆(著)』


自己啓発書が売れ続ける社会は、ノイズを除去しようとする社会

この言葉は、恐ろしくも危機迫るものがあります。

ノイズを除去するということは、文化や人間としての営みが消える社会だと感じています。

本書では、現在我が国にある経済的背景にも触れ、新自由主義を批判しています。

グローバル化する社会で、我々は何を選択しいくのでしょうか?

それは、「本を読める社会」なのか?

我々の選択に問われています。

▫️行動宣言

1.ノイズを取り入れるため読書の幅を広げる

2.本を読める社会を実現するするため、「半身の働き方」を追求する。

あまりにも気付きが多い本のため、Kindleでも文庫でも購入してしまいました。

本を読める社会を実現するために、行動を考えていきたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

これからも学びを共有していきます。

森の木 8月

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