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アダム・スミスの夕食をつくったのは誰か?

経営の仕事を続けるほど、どうしても無視できないものがあります。

それは、売り上げや利益には表れない、会社の屋台骨を支える瞬間です

例えば、こんなことです。

・会社のトイレはいつも綺麗になっていること

・ごみは地域のゴミの日に漏れなく出されていること

・事務所の花壇には花が植えられており、枯れずに水があげられていること

以上のことは、私が率先して進めてきた訳ではなく、

いつの間にか、我が社では当たり前になっていた出来事です。

これは、数値では表せませんが、会社にとってとても大切な文化といえます。

経済学においても、データには反映できませんが、

人間生活において重要な場面が隠されています。

それは、毎日行われる家事をとってもそうです。

アダム・スミスの有名な著書に『国富論』があります。

『国富論』では、個人が自分の利益を追求することが、結果的に社会全体の利益につながると考えました。

スミスはこれを「見えざる手」と呼びました。

一方で、利己的な自由競争だけではうまくいかないことも事実です。

こうした経済学の「見落とし」に対して、新たな視点を提示してくれるのが本書です。

このブログでは、『アダム・スミスの夕食をつくつたのは誰か?/カトリーン・マルサル(著)高橋璃子(訳)』

から引用し、経済の欠陥について触れ、それを補完するための方法について考えを深め、自身の行動宣言をしていきたいと思います。

#アダム・スミスの夕食を作ったのは母

アダム・スミスは生涯独身だった。人生のほとんどの期間を母親と一緒に暮らした・母親が家のことをやり、いとこがお金のやりくりをした。アダム・スミスがスコットランド関税委員に任命されると、母親も一緒にエディンバラへ移り住んだ。母親は死ぬまで息子の世話をしつづけた。
そこにアダム・スミスが語らなかった食事の一面がある。


肉屋やパン屋や酒屋が仕事をするためには、その妻や母親や姉妹が来る日も来る日も子どもの面倒を見たり、家を掃除したり、食事をつくったり、服を洗濯したり、涙を拭いたり、隣人と口論したりしなければならなかった。
経済学が語る市場というものは、つねにもうひとつの、あまり語られない経済の上に成り立ってきた。
毎朝15キロの道のりを歩いて、家族のために芽を集めてくる11歳の少女がいる。彼女の労働は経済発展に父かせないものだが、国の統計には記録されない。なかったことにされるのだ。

国の経済活動の総量を測るGDP(国内総生産)は、この少女の労働をカウントしない。ほかにも子どもを産むこと、育てること、庭に花や野菜を植えること、家族のために食事をつくること、家で飼っている牛のミルクを搾ること、親戚のために服を縫うこと、アダム・スミスが「国富論』を執筆できるように身のまわりの世話をすること、それらはすべて経済から無視される。

一般的な経済学の定義によると、そうした労働は「生産活動」にあたらない。何も生みださないことにされてしまう

『アダム・スミスの夕食をつくったのは誰か?/カトリーン・マルサル(著)高橋璃子(訳)』

アダム・スミスは、母親の献身的な支えによって成り立っていたことがわかりました。

経済の数値には表すことのできない他人のケアのおかげで、

私たちはこうして生活できているのです。

#経済学は愛を節約しようとする

「どんな社会にも、他者をケアするしくみは必要だ。なんらかの形でケアをしなければ、経済も何もうまくいかない。

「どうやって夕食を手に入れるのか?」という問いにアダム・スミスは利益の追求と答えたが、ほんとうは彼の母親が毎日せっせと食事の支度をし、スミスが熱を出せば献身的に看病をしたのだ。

ケアがなければ子どもは育たないし、病人は回復しない。
ケアがなければアダム・スミスは仕事ができないし、高齢者は生きられない。
他者からケアされることを通じて、私たちは助け合いや共感を学び、人を尊重し思いやる気持ちを育んでいく。
こうした能力は生きるのに欠かせないスキルだ。


経済学は愛を節約しようとした。
愛は社会から隔離され、思いやりや共感やケアは分析の対象から外された。そんなものは社会の富とは関係ないからだ。


お金の世界と思いやりの世界は切り離され、両者が交わることは許されなかった。

そしてお金の世界は、思いやりや共感やケアの概念を失った。

経済の話をするときに思いやりを考慮する人はいなくなった。

おそらくそのせいで、現代の女性は男性よりもずっと低い経済的立場に立たされている。

『アダム・スミスの夕食をつくったのは誰か?/カトリーン・マルサル(著)高橋璃子(訳)』


経済の話では、ケアはしばしば置き去りにされます。

しかし、「生きる」とは、すなわちケアすることではないでしょうか?

ケアの側面を軽んじているから、

「やりがい搾取」などという言葉が出現しているのではないでしょうか?

この過度な経済状態に、一石を投じる必要があります。

#ナイチンゲールはなぜ、お金の問題を語ったか?

スクタリ(イスタンブールの隣町)の野戦病院では少ない人員が過労に追いこまれ、衛生状態はきわめて悪く、感染症が流行し、傷病兵は床に放置されて死ぬのを待っている状態だった。
ナイチンゲールは自身の資産とタイムズ紙に寄せられた募金を使い、必要な物資の購入に取りかかった。

汚れたシーツや衣服を洗濯するため、病院の近くの家を借りて洗濯棟にした。現地で生鮮食品を買い、兵士たちに柑橘系の果物を食べさせた。果物を食べずにいると栄養状態が悪くなることを知っていたからだ。それまで戦場の食事といえば腐りかけの肉が配られる程度だったが、ナイチンゲールはロンドンから料理人を招いて、栄養に配慮した食事をつくらせた。
病院の衛生状態が改善されると、兵士の死亡率は大幅に下がった。

ナイチンゲールはその数値を事細かに記録し、データを活用して反対派を説得していった。
それは看護の革命だった。

任務を終えてロンドンに戻ったナイチンゲールは、国民的スターになっていた。家の名を汚すという家族の予想とは反対に、ナイチンゲールは看護で伝説になったのだ。
白衣を着て病人たちを献身的に看護する女性のイメージは人々の心をつかんだ。メディアは彼女を白衣の天使と呼び、暗い病棟に光を灯すやさしい女性のイメージを広めた。

『アダム・スミスの夕食をつくったのは誰か?/カトリーン・マルサル(著)高橋璃子(訳)』


驚くべきことにナイチンゲールは、献身的な看護の姿だけでなく、

資金を集め、数値的なデータを活用する

まさに経営者のようなことをしていたのです。

うつむきがちでおとなしく献身的な女性。
そんなナイチンゲールのイメージは現代にも残っているが、

実際のナイチンゲールは手厳しい批評家であり、何より経済に物申す人だった。彼女は統計学を武器にして、看護に対する考え方を変革した。おとなしく他人に追従するだけの人にはできないことだ。

お金はけっして悪ではない、とナイチンゲールは主張した。

看護が神聖な仕事だとしても、お金を受けとっていけないわけがない。
善いおこないと金銭的な豊かさが両立しうるという考えは、ナイチンゲールの著作のなかに繰り返し登場している。
神聖な仕事をこの俗世でおこなうためには、お金という手段がどうしても必要だ。

フローレンス・ナイチンゲールは生涯を通じて看護師の待遇改善のために戦いつづけた。

その事実を現代の私たちは忘れがちだ。お金のためか善意のためか、という二択は、私たちのジェンダー観と密接につながっている。

『アダム・スミスの夕食をつくったのは誰か?/カトリーン・マルサル(著)高橋璃子(訳)』

以上の引用は、エッセンシャルワークをする私たちにとって、

とても大きな布石になります。

お金を稼ぐことは悪ではなく、

善意は豊かな生活のもとに成り立つことがわかりました。

#行動宣言

① ナイチンゲールの著書を読む

② エッセンシャルワーカーの待遇改善のため、データを活用する

歴史の偉人たちは、すでに大きな伏線を張ってくれていました。

それに気づいたとき、具体的な行動が明らかになっていきました。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

また学びを共有していきます。


公園の木々と空 2月

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