城戸の関所跡
説明
菊川町から豊田町に向かう県道に山と川が迫る場所にかつて関所がありました。地名の城戸もそのまま関所の意味です。この地では関所を「せっしょ」と読みます。現在それを記念する石碑と案内板が道路わきに建てられています。
実際に関所があった時代は平安時代後期から鎌倉時代を経て南北朝時代にかけて、豊田氏がこの地域を治めていたころです。西暦でいうと900~1300年頃です。当時菊川町側は大内氏が治めていました。外部から不審者が入り込まないように警戒していたようです。関所には片山という名字の役人が関守として常駐していたようで、片山屋敷という地名が残っているそうです。1363年に豊田氏と大内氏の和談が成立し、以降は関所の必要性が解消されました。
自然環境をみるとこの地点は平地を流れる木屋川が蛇行し、西側の山に接するため川を渡らずに豊田町に入ろうとするとここしか道がありません。西側の山は中生代ジュラ紀の豊浦層群の泥岩でできています。(F)
画像
下の写真は関所を南から撮影しています。右手には平地が広がりますが、中央の木屋川と左手の山が迫り、狭いところを道が通ります