医王山飛騨国分寺 高山市


2024.04.14
昨年に続き今年も春の高山祭にやって来たが、春の高山祭見に来ていたが、いつも午前中のからくり奉納を見ただけで、その後白川郷や金沢方面へ出掛けてしまい、日本三大美祭とも言われ、夜になると各屋台はそれぞれ約100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾るが、見ずじまいであった為、今回は短時間になるのは覚悟で祭りを観覧する予定を組んでいた。そのため、午前のからくり奉納は敢えて見学せず、日頃見学できていなかった地に出向いていった。


ここは、医王山飛騨国分寺で、飛騨国分寺の歴史は、古くは奈良時代までさかのぼり、国分寺は開基を行基菩薩とし、746年(天平18年)草建されたと言われます。現在の飛騨国分寺本堂は金森長近が安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)に再建された建物と言われている。


長近は今に残る飛騨高山の原型を作った最重要人物と言われ、飛騨高山の祖とも言割れている、 金森長近は1524年に美濃国(岐阜県南部)に生まれ、戦国時代、織田信長に仕え、斎藤氏攻略戦などで活躍。 その後、柴田勝家の与力となりますが、勝家が滅ぼされたのちは羽柴秀吉に従い、天正13年(1585年)に飛騨国を与えられていた。


境内にはさるぼぼが奉納され、さるぼぼは、飛騨発祥のもので、子宝 安産 良縁厄除けの意味もある。


ここ飛騨地方では、おばあちゃんが子供たちのために作り始めたのが起源と言われ、 猿の赤ちゃん似ていることから、赤ちゃんを示す方言の「ぼぼさ」と合わせて【さるぼぼ】と呼ばれるようになったそうだ。


高山市指定文化財となっている「国分寺鐘楼門」です。


この三重塔は寛政3年(1791)に暴風雨で倒壊後、文政3年(1820)に再建されたもので、高さ22.4m、桁行3間、張間3間、飛騨地方唯一の三重塔として貴重な事から昭和49年岐阜県指定有形文化財に指定されていた。


本堂は、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行5間、張間4間、正面1間向拝付き、室町時代に建てられた寺院本堂建築の遺構として貴重なことから明治42年(1909)に国指定重要文化財に指定されていた。


葉がすべて落ちているこの大木は、樹齢1250年以上といわれる大イチョウで、高さが約28メートルあり、国の天然記念物に指定され、地元では「大イチョウの葉がすべて落ちると高山に雪が降る」との言い伝えもあり、昔から市民に親しまれていた。

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