古代史 / 古代日本と失われたアークの謎
こんにちは、TOYOです。
旧約聖書に記述されている、モーゼの十戒の話をご存知でしょうか。
今回は、その旧約聖書に登場する十戒を入れた契約の箱(アーク)と
古代日本との繋がりの謎について考察したいと思います。
失われた契約の箱(アーク)
モーゼはエジプトから迫害を受けていたユダヤ人を連れて、約束の地へと旅立ちますが、エジプトの王の軍隊に海岸に追い詰められ、窮地に立たされたとき、モーゼの弟、アロンの杖を天に掲げました。
すると、海が二つに割れて、そこに大きな道ができました。
モーゼとユダヤ人たちはそこを走って逃げ、それを追いかけたエジプト軍は海に飲み込まれてしまったという話が記されています。
モーゼの持っていた杖は、神から与えられたものです。
モーゼは神から契約の箱を作るように言い渡されます。
そして、モーゼの孫であるベツァルエルが「契約の箱(アーク)」を作り上げました。
箱の中に入れられたのは、十戒が刻まれた石版、アロンの杖、マナの壺でした。
マナの壺は、モーゼたちが40年ほど荒野を彷徨い続けることになった際に、ユダヤ人たち全員が飢えた時に、モーゼの祈りに応じて、神は天から「マナ」という食べ物を降らせたといます。
モーゼは神の祝福の証として、黄金の壺に入れて契約の箱に修めました。
これが「マナの壺」です。
モーゼの死後、ヨシュアという人物がユダヤ人たちのグループを率いることになり、後に、シロと呼ばれる地域の神殿に契約の箱は置かれました。
やがてユダヤ人たちは、神から約束された地で「王国」を作ります。
「イスラエル王国」です。
しかし、やがてユダヤ人たちの敵のペリシテ人に敗北し、シロから契約の箱を奪われてしまいます。
ところが、ペリシテ人に神の呪いがあり、数百万人が死亡したために、契約の箱はペリシテ人から返却されることになりました。
その後、エルサレム神殿に契約の箱は安置されるようになりました。
しかしアッシリアによって、王国は滅ぼされ、エルサレム神殿も破壊されました。
この時から契約の箱は、現在まで行方不明とされています。
契約の箱がどこに持ち去られてしまったのかには、諸説あります。
侵略者であるバビロニアが奪ったという説。
エチオピアに運ばれ、安置されている説。
アラブ経由でジンバブエまで運ばれたという説。
テンプル騎士団回収説。
テンプル騎士団に回収され、ヨーロッパやアメリカに運ばれているのではないかとされているそうです。
剣山の謎
そして、日本の徳島県にある剣山に隠されているという説です。
後に、伊勢神宮の地下に移されたという説もあります。
世界の謎「契約の箱」が剣山に眠る証拠とは【ぞくぞく】【ゾクゾク】【ミステリー】【都市伝説】
また毎年剣山で執り行われる伝統である祭りで、御輿を担いで、山頂まで登る行事は、古代イスラエルの行事「シオン祭」の名残と言われています。
シオン祭で、ユダヤ人たちが「契約の箱」を肩に担いでシオンの都を練り歩くという行事が、そのまま日本のお神輿の行事になったと考えられます。
日本に渡来した彼らは、その聖なる都「シオン」と「シオン祭」を、日本で復活させることにしました。
そして作り上げたのが、京都の「祇園 (ぎおん)」と「祇園祭」です。
また、神輿を担ぐときの掛け声は、「エッサ、エッサ」と言いますね。
この『エッサ』は日本語ではありません。『エッサ』はヘブライ語です。
ヘブライ語の『エッサ』とは、「運ぶ」という意味です。
君が代
日本国家である「君が代」ですが、実はこの歌詞は日本語ではなく、ヘブライ語であるとされ、ヘブライ語で解釈するとこのようになります。
モーゼの謎
石川県宝達志水 (ほうだつしみず) 町には、「モーゼの墓」があります。
古代世界の成り立ちが記された『竹内文書』によると、今からおよそ3430年前、不合あえず朝・第69代・神足別豊耡かんたるわけとよすき天皇の時代に、モーゼは船で日本の能登に渡来したとされています。
彼は天皇に十戒を彫り込んだ「十戒石」を献上し、承認を待つ間、天皇の第一皇女である大室 (おおむろ) 姫を妻に迎えました。そして12年間、神道の修行に励んだといわれています。
やがて天皇から十戒の承認を得たモーゼは、「天空浮船 (あめのうきふね) 」と呼ばれる古代世界に存在した空飛ぶ船 (今で言うUFO) に乗って、宝達山を出発。
イタリア・ボローニャ地方を経由してシナイ山に渡り、十戒を世界に広めるという大役を果たしたとされています。
その後、モーゼは余生を過ごすために再来日。
583歳という長寿を全うし、最期は宝達山のふもとにある三ツ子塚に葬られました。
それが現在も宝達志水町に残されている「モーゼの墓」です。
モーゼが葬られた三ツ子塚は古墳であることが確認されており、石川県の埋蔵文化財になっている正真正銘の墓なのです。
案内板には「モーゼはシナイ山に登った後、天浮船(あまのうきふね)に乗って能登宝達に到着。583歳の超人的な天寿を全うした」と、驚がくの伝説が記されています。
宝達山頂の神社には、モーゼと関係の深いエジプトのスフィンクスに似たこま犬があります。
また地元には「平林」という地名がありますが、その読み方は「ひらばやし」ではなく「へらいばし」と読まれています。
これはモーゼと関係が深い「ヘブライ」との繋がりを示しているのではないでしょうか。
戦後、モーゼ伝説を聞きつけたGHQが塚を掘り起こして発掘調査も行なっています。
調査では、墓の近くの石灰山で、膝からくるぶしまで約75センチもある巨人の骨や、異国風の兜、奇妙な形の貴金属に、土器と思われる壺などが発掘されたとされています。
言い伝えによれば、モーゼの身長は2メートルもあったといわれています。
伊勢神宮の謎
伊勢神宮には内宮と外宮の2つのお宮があります。
そのために、御神体もそれぞれあると言われています。
内宮の御神体は三種の神器とされている「八咫鏡(やたのかがみ)」です。
外宮の御神体もまた、「鏡」だと言われています。
この八咫鏡は、契約の箱の中に入れられていた「十戒の石版」ではないかという説があります。
八咫鏡の裏にはヘブライ語が記されていると囁かれてきました。
これによって、契約の箱の三種の神器が、日本の三種の神器と一致するのではないかとされています。
伊勢神宮では20年ごとに行われる「式年遷宮」の際に、「遷御の儀」という御神体を新しい社殿に移す行事があります。
その際、御神体は私たちの目に触れることはありません。
伊勢志摩には、伊勢神宮の他にも「伊雑宮(いざわのみや)」という神社があります。
伊勢神宮の灯籠に、ユダヤの六芒星「ダビデの星」の刻印が入ってることは有名ですが、伊雑宮の灯籠にもまた、六芒星が刻印されていたようです。
この伊雑宮の「イザワ」とは、「イザヤ」を意味するのではないかといわれています。
つまり、イザワの宮は「イザヤの宮」である可能性が高いというのです。
十六菊家紋
皇室の家紋である「十六菊家紋」ですが、この十六菊花紋はイスラエルの首都エルサレムの門などに掲げられています。
預言者イザヤ
「イザヤ」は、紀元前8世紀にユダ王国で活躍したユダヤの預言者です。
アッシリアによってイスラエルに王国が侵略されたことで、国家崩壊の危機により、イザヤは国を出て、日本にたどり着いた可能性があるのです。
また、日本を作り上げた「イザナギ」もイザヤに由来しているのではないかという説もあります。
イザヤとはヘブライ語で「神の救い」という意味を持ちます。
また「ナギッ」とは君主を意味します。
つまりイザナギとは「神の救いの君主」=「イザヤの王子」という意味になるのです。
日本が多大なる費用と労力をかけて、伊勢神宮を守り続けていることは、
伊勢神宮には神聖な遺物があるからと考えると納得がいきます。
契約の箱が、日本の伊勢神宮に収められている可能性は十分にあるのです。
このブログを作成するにあたり、「異世界への扉」さんの動画を参照させていただきました。