マッドフラッド 9 / 日本で起こった大火の真相
こんにちは、TOYOです。
かつて日本に、わたしたちの知っている「江戸時代は存在していない」ことについてお伝えしました。
今回は、その後、日本各地で起こった大震災と大火の真相について検証していきます。
世界最大の国家、タルタリア帝国は、1816年2月、突然、歴史上から姿を消してしまいました。それは、ディープステート(闇の政府)による核攻撃が原因と考えられます。
タルタリアが核攻撃を受けた後、世界はマッドフラッド(泥の洪水)と厳しい冬に襲われることになりました。
当時、日本は江戸時代であり、11代将軍・徳川家斉の時代でした。
しかし、日本は私たちの知っている江戸時代とはかけ離れた様相であることは、前回お伝えいたしました。
関東ローム層
マッドフラッドの影響を受けたのは、日本も例外ではありません。
最も影響を受けたのは、関東平野でした。
関東平野は全域が関東ローム層と呼ばれる2~3メートルの赤土の層で覆われているものを指し、1万年前の富士山の噴火の際の火山灰だと言われています。
しかし、1万年前の層であるならば、通常は土中深くに位置するはずで、「関東ローム層」は表層にありすぎるのです。
つまり、これは富士山大噴火の際の火山灰などではなく、200年前のマッドフラッドで堆積した泥なのです。
マッドフラッドが襲来し、海が埋まり、陸地に堆積した泥で海を埋め立て、現在の関東平野が完成したということになります。
タルタリア文化の消滅
日本がタルタリアの影響を大きく受けていたならば、今もなおその影響がたくさん見受けられても良いはずです。
しかし、日本に残されていたタルタリア文化は、日本に起こったある出来事で消え去ることになりました。
その出来事とは、幕末から明治にかけて日本を襲った「謎の地震や火災」で、1847年から1858年にかけての11年間で、マグニチュード7以上の地震が、じつに9回も発生しているのです。
これらの地震では、合わせて10万人以上の日本人が死亡し、建物の被害も甚大であり、これにより、日本各地にあるタルタリア様式の建造物は、姿を消してしまうことになったのです。
日本各地で起こった大火
さらに追い打ちをかけるように19世紀の終わりには、日本各地で大火が頻発し、25年足らずで5万戸が消失したという記録が残っています。
大震災と大火が19世紀末に集中しすぎているのは明らかに不自然であり、大火は、中小規模のタルタリア様式の建造物が残されていた地域で発生し、日本橋は、実に4回の大火に見舞われ、タルタリアと交易の玄関口であった新潟も同様でした。
北海道はかつてタルタリアの領土でした。
その函館に至っては、明治から昭和戦前期にかけて少なくとも25件の大火に見舞われています。
函館は江戸時代から栄えた港町でしたが、市内の至る場所が火災の被害に遭っており、中でも1934年(昭和9年)3月21日の火災は最大規模となりました。
大火の真相
じつは、日本各地で起こった大火の真実は、明治新政府が行った「廃仏毀釈政策(はいぶつきしゃくせいさく)」が関係してると考えられます。
明治政府は神道を国教に定め、神社を保護して、仏教寺院を破壊する政策を取ったのです。
仏教寺院の破壊というと、お寺をイメージすることと思いますが、仏教寺院と呼んでいるものは、タルタリア様式の大聖堂だったのです。
廃仏毀釈を免れ、今に残るのが築地本願寺で、私たちがよく知るお寺とはどう見ても違います。
次に、モンタヌスが描いた平戸城を見てみると、五重の塔型の発電施設のように見えないでしょうか?
現在、神社は全国に8万8千社あり、コンビニが2万5千店なので、神社の数が異常に多いのです。
私たちはこの状況に慣れきっているので変だとは思わないが、どう考えても、人口に対する神社の数が合わないのです。
さらに、神社の解体工事を行った際、地下から石造建築物が出てくることが知られます。
これはつまり、廃仏毀釈の名のもとに、明治政府は全国各地のタルタリア様式のフリーエネルギー発電所を解体し、その土台の上に、木造の神社やお寺、お城を建てていったからなのです。
マッドフラッドが関東地方を襲ったことで、陸地が大幅に拡大し、関東地方は発展を遂げることになったのです。