魂(たま)散歩18歩目。二人の父親と家族を思い続けることが存在意義だった漁師の物語。
おはようございます。とよみです。
最近はすっかり朝方な生活になっているので
このまま習慣づけて行きたいなーとか思っています。
神様方にお願い事の条件提示で言われるものも
大体が「まずコレを習慣に」みたいなものが多いので
新しい習慣を身につけるって大事なんだな、と感じます。
【ツイキャス】のお知らせ
毎週土曜日の20時くらいからツイキャスを行っております。
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(簡単なものなら「これ占えますか?」とコメントください。
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「誘導瞑想」配信を行います。
ちょっと試してみたいーな感じでOKなので
よろしければいらしてください。
その他にもご質問にもライトに答えるので
コメントとかで気軽に聞いてみてください。
割と前向きに「行けるか?」って考えます!
お時間がよろしければ、是非とも気軽に絡みに来てください
さて、本題。
今回は「岐阜県・N様」からのご依頼となっておりました。
では、のんびりとお付き合いくださいね。
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●N様に現在一番影響を与えている過去世について
海に小舟を浮かべて何か作業しているお姿が視えます。
いくつかの場所に網を仕掛けて漁をされているようですね。
200年くらい前の日本で、ヒゼン…肥前でしょうか。
現在で言う、佐賀・長崎・対馬の辺りに住まれていた方のようです。
男性で、30を少し超えたくらいだと話されていますね。
便宜上、今回は「漁師さん」とお呼びすることにいたしましょう。
漁師さんは、海辺にほど近い村というか集落の出身の方で、海女をされていた母親と同じように漁をされていた父親がいらっしゃったそうです。
兄弟も上に1人、下に3人ほどいらっしゃったようですね。
当時のその地域の家族像としては、割と平均的な感じで、その日頑張ればご飯をちゃんと食べられる、という感じの生活だったようです。
物心ついた時から、兄や妹・弟達とともに近くの林や海辺に出かけ、食べられるものを探したり、浜辺で両親の道具の整備を手伝ったりしながら過ごされていた、と話されています。
漁師さんが11~12歳くらいの頃、父親が漁の最中の事故により、体が不自由になってしまいます。
そこから、兄と漁師さんは父親に代わって漁に出たり、取った魚を加工したり、近くの農村に売りに行ったり、とかなり忙しくなったそうです。
漁師さんの母親も父親の看護をしながら、少しでも良くなるように診療所にかかったり、痛みを緩和するためのお酒や薬を手に入れるためのお金を工面するために、今まで以上に一生懸命働いていたそうです。
そんな状態が半年ほど続いた頃、漁師さんは母親からの紹介で、近くに住む一人暮らしの網漁の上手な方のところに半ば養子のような状態で、修行に出ていくことになります。
網漁の上手な方のことを、便宜上「網漁の匠さん」とでもお呼びいたしましょう。
網漁の匠さんは、独り身で、過去に一度ご結婚されたことがあったようですが、数年経ってもお子様が出来なかったことを理由に、当時の奥様が別の方との間に子どもを作るため、離縁されたそうです。
そのため、ご自身の技術を伝える後継者がおらず、かといってあまりにも幼い子どもだと、網漁のことを理解できなかったり、体がついていかずに体調を崩しやすいこともあり、それなりに海に出たりして体が出来上がっている(そして少し若いのと、次男坊である)ということで漁師さんが、修行を兼ねて住み込みで行くことになったそうです。
修行をはじめて最初の3年は、技術の基礎を覚えることに集中するため、実家に戻っても行けないし、自分から家族に会いに行ってはいけない、と言われたそうです。
漁師さんとしては、今まで家族の誰かしらとともに行動するのが当たり前だったため、その言いつけは本当にショックで、子ども心に「いつかは家を出るんだろうな」とは思いつつも、こんな急なタイミングで、ちゃんとした出発も伝えられず、会いに行くことも許されないというのは、例え3年という制限があったとはいえ、とても長く感じて重たい何かが腹の中に入ったような気持ちになった、と話されています。
ただ、網漁の匠さんのお宅では、兄と漁をしていた時とは全然違い、収穫した魚の量もそうですが、海産物の種類も豊富で、様々な加工品があり、実家では経験したことがないくらい、食事の事情は良かった、と話されています。
漁師さんは、網漁の匠さんのもとで、懸命に技術を覚えるためにどんな小さなことであっても、何度も質問したり、網漁の匠さんの真似を繰り返したりしたそうです。
また、天気が悪かったり海に出ても仕方がないと網漁の匠さんが判断した時は、二人で近くの林などに入り、今まで知らなかった食べられる植物や薬になるもの、危ないものの他、魚の餌だったり網漁の役に立つ植物などについても教えてもらった、と話されています。
兄弟がたくさんいる中で育っていた漁師さんは、その時のことを「もうひとりの父親を独り占めしているような気持ちになった」と感じたそうです。
漁師さんは、網漁の匠さんのことを「もうひとりの父親」のように思えてからは、割と気持ちも安定し、あっという間に3年間を過ごすことが出来たようです。
そして、網漁の匠さんに許可をもらい、いつでも家族に会いに行ける状態にもなったようですが、一度近くまで会いに行った時に、3年間で家族の様子がかなり様変わりしていたため、そこに動揺を覚えて、その時は声もかけずに戻ってきてしまったそうです。
兄や弟、妹たちが成長しているのはもちろんですが、父親は体が少しずつ動くようになっているはずなのに、酒浸りになっており、母親は少し年を重ねてはいたものの、元気に働いている感じではあったのですが…全員がとても暗い表情をしており、かつて漁師さんが修行に行く前に見た「元の家族」のようには思えなかった、と話されています。
…少し時を進めてみましょう。
漁師さんはその後、実家に家族を尋ねることはなかったようですが、兄弟とは海辺で時々会うようにし、自分で作った加工品などを分けたりしていたようです。
漁師さんが20歳になるかどうかくらいの時に、妹から母と自分(妹)は父親から暴力を受けている、と相談されます。
その後、兄弟を連れて網漁の匠さんにそのことを相談し、海辺の道具を置くための小屋を避難場所として使って良いと言ってもらえたそうです。
漁師さんはその事があってから、少しずつ妹を道具小屋に避難させ、網漁の匠さんのもとで働きながら、兄弟とともに面倒を見る生活をしていたそうです。
母親も妹ともに避難するように伝えたのですが「父の面倒を見る人がいなくなってしまうから」という理由で断られた、と話されています。
ただ、その生活が半年ほど続いた後、母親が父親からの暴力が原因だと考えられる状態で海に食べ物を探しに行った時に、溺れたことで亡くなったそうです。
そこから、兄と弟が交代で父親の様子と面倒を見に行っていたそうなのですが、父親からの暴言や暴力が日増しに酷くなっていったため、そのうち誰も実家には寄らなくなってしまったそうです。
母親が亡くなってから、2~3ヶ月ほどは兄弟で様子を見に行っていたため、父親が生きていることは確認できていたのですが、誰も行かなくなってから、1月ほど間を空けて様子を見に行った時には、父親がどこにも居らず、皆で手分けして探してみたけれど、結局見つかることはなかった、と話されています。
…また、少し時を進めてみましょう。
父親が亡くなった後、妹は兄と結婚し、子どもをもうけます。
弟たちは漁師さんと同様に網漁の匠さんのもとに弟子入りし、匠さんが年齢的な理由で舟を出せなくなった後も、そこをサポートしながら仕事に精を出されたそうです。
兄と妹は実家に戻り、そこで父親が帰ってきた時に対応出来るように過ごしていたそうですが、結局帰ってこなかったそうです。
漁師さんは下の弟を海の事故で亡くし、匠さんも老衰に近い形で亡くなられます。
その後は、上の弟の面倒を見ながら、時々近くの農村で女性と逢瀬を楽しんだりしつつ、生涯を過ごされています。
60代の手前ほどで心疾患が起因したものですが、眠るように亡くなられてます。
…というのが、N様のお仕事面に今、一番影響を与えている過去世となっておりました。
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タイトルは毎回、ブログで更新するちょっと前くらいから、鑑定結果の文章を眺めたり、鑑定時に視えた映像などを思い出しながら考えていたりします。
今回の方は、なんと言って良いのか…色々な場所にポイントがありすぎて、いつも以上にタイトルが難航した方でした。
実際の父親と仕事の師匠に見出した「もうひとりの父親」
どちらも漁師さんの中ではとても大切な存在で、一言で「どっちがどう」という風な割り切りは出来なかったのでしょう。
そして、家族をつなぎとめていた「親」という存在が欠けていく中で、それをつなぎとめるための役割を無意識に自分で担っていきます…。
そこに対して、ご本人は気付いていたのか、それとも考えないようにしていたのかはわかりませんが…
その人にとって、一番身近な人間関係とも言える「家族」との関係性については、その環境によって一概にいえない部分が多く、視ていたり実際に相談されたりした際も、こちらではどう思えば良いのか…未だに考えてしまうテーマだなぁ、と感じた過去世となっておりました。
今回はこのへんで。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
とよみ。
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