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いま私にできること

どうも社会のゴミクズ、とよいけです。

noteのハッシュタグにてトレンドとして上がっていたので、僕もそれに便乗して投稿していこうと思った。

そのお題が『いま私にできること』だ。

いま僕にできることは何なのか...?

いろいろ考えてみて、1つの答えが思い浮かんできた。

それは、『人生に生き疲れているに向けて、勇気づけられる何かを発信する』ことだ。

そもそもnoteをはじめた大前提は、お金のためだ。

僕は、働くことが大大大大だぁーーーーーいっきらいだ。

でも今の自分はというと、何者でもない。

なにか特別なスキルがあるわけでもなければ、なにか特技があるわけではない。

特にやりたい仕事はないし、時間・お金・仕事・人間関係に縛られることなく、のんびり生活していきたいと思っている。

でも今の現状のままのんびり生き続けても、何ごとにも縛られない人生は一生やってこないと思った。

僕はこの世に生まれてきたからには、一度きりの人生を最高に楽しみたいと思っている。
だから楽しい人生をおくる。

ここまでは確定している。

じゃあどのようにすれば楽しい人生をおくれるのか?

僕はおもった。

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自分の影響によって、だれかの役に立てたときが1番気持ちいい瞬間だよなって。

この前、ツイッターで僕のツイートに後押しされたおかげでFXをはじめたという方がいた。

僕はすでにFXから手を引いているが、僕によって影響される人って実際にいるんだなという感動をおぼえた。

現在、その人はFXで専業にまでは到達していなくとも勝ててはいるらしい。
そういうツイートを見るとなんだか嬉しい気持ちになる。

僕が直接、その人になにかをしたわけじゃないが、僕によって影響されたおかげでFXをはじめ、勝てているという現実がある。

あのとき、僕がFXに関するツイートをしていなければ、ひょっとすればその人は今FXをやっていなかったかもしれない。

そう思えば、僕のツイート1つで1人の人生を変えられるんだなという気持ちが芽生えた。

そして、僕は誰かの人生を変えたいとは常に思っている。

働かなくていい人生をおくる...

これはいずれ確定させるんだが、それ以外になにかやりたいことがあるかと聞かれると僕は「誰かの人生を変える活動をする」と答えるね。

しかし、今の僕は何者でもない、ただの一般市民だ。

影響力のない一般市民が1人がなにかスローガンを掲げても、それについてくる人は1人もいない。

そこで僕は考えた。

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僕の人生の経験談を語ろうと思った。

過去にあった悲しい思い出、絶望する出来事、壮絶な体験などはすべてネタにできる。

ちなみに、僕が過去に味わってきた苦しいエピソードはなりふり構わずすべてネタにしている。(いちど炎上した経験さえある)

炎上した記事は削除したが、僕が最初におもったことは『嬉しい』という感情だった。

みんなしっかり見てくれているんだということ。

「とよいけスマブラの立ち回りだけじゃなくて人格まで終わってんのかよ」
「常識ない雑魚はタヒねよw」
「周りの人間売るようなやつがマジで1番嫌いなんだわ」
「お前の記事なんて興味ねえんだよ!」

って言われながらも、しっかり読んでくれているんだな~って(笑)

noteを投稿する甲斐がある。

僕は今度も自分と関わってきた人、全員をネタにしようと思っている。
決して悪意はない。

これは自分の気持ちの整理にもなるし、僕と同じような体験をして苦しんでいる人に少しでも勇気づけられたらという願いをこめて書いている。

この前ツイッターで、炎上した記事に反応した方でこういうリプライが届いた。

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『30手前の男性が「僕はとても幼稚な人間ですよ。」と恥ずかしげもなく言えるのがとても凄いです。』

年下(?)のフォロワーからこのように言われたが、恥ずかしい気持ちは1ミリもない。
それが僕の個性だから。

じゃあ仮に、僕が自分のやっていることに"恥"を感じて、言動をつつしんだとしよう。
それこそ何者でもない、ただの冴えない男になる。

そんな男に魅力なんてどこにもない。
これまでの僕がそうだった。

昔は、まわりの常識にしたがって真面目に生きてきた。

でも結果はどうだ??

真面目に生きれば生きるほど、この上ない苦痛な人生を体験してしまった。人生、最高な消耗であり、最高な損失が生まれた。
まさに生産性ゼロだった。

まわりから批判の声もなく、好かれる声もない。
何者でもない、何もできない、まわりの意見に左右される、他人のために"ただ"はたらくロボットが完成したのだ。

それが過去の僕。

だから常識にとらわれた真面目な仮面を脱ぎすてた。

その結果、今のとよいけがいる。

ためしに、『とよいけ』という名でエゴサをかけてみよう。

すると、こんなにもたくさん僕のことをツイートしてくれる人がいる。

今、この記事を書いているのが2020年10月12日だから、おおよそ1ヶ月半まえに僕がツイートしたものになる。

しかし、驚くことにフォロワー130人で1RTしかされていないのに、このツイートのエンゲージメント総数がすでに1000を突破している。

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つまり、フォロー外からそれだけの人に見られているということ。


気持ち良すぎてたまんねえええぜえええええ!!!wwwww



昔はというと、こんなことはなかった。

そりゃ常識ありきの真面目くんを演じていたら、本来の魅力ある自分じゃないから誰もよってこないのも当たり前だよね。

口が悪い、調子にのりまくる、上からモノを語る、今日の友は明日の敵...

それがとよいけ流。

こんなクズ人間だが、それでも僕のことを好いてくれる人は好いてくれる。

ってこの内容をさっきのフォロワーの方に1億回ぐらい説明しても一生理解してくれないことだろう。

それはそれでいいんだ。

その人はおそらく僕みたいなクズ人間を受け入れることのできない超絶まじめな個性の持ち主なんだろう。

まじめ腐った人はあまり好きではないが、その個性を否定するつもりはない。

でもこういうタイプの人って、人の個性をつぶしにかかる人がたまにいるだよね。
アレほど罪のでかい人間はいないと思っている。

学校や職場だけでなく、ツイッターでもそういう人間ゴロゴロいるよね。
その人の考え方や個性を完全に否定して、その人に対して自分の価値観や常識をおしつけて、その人の可能性をつぶそうとする人。

人は個性があってこそ何かを生みだせるのに、なぜそれを阻止しようとするのか理解に苦しむ。

天才を殺す凡人とは、まさにこのことを言う。

はっきり言わせてもらうが、僕はそういう人間が大嫌いだ。

日本が自殺大国だといわれるのは、何の影響も与えられない凡人が束になって、天才の居場所をつぶしているからだと勝手に思っている。

個性を出そうとすると抑制されて、自分の存在価値を見出せなくて、露頭に迷い、人生に生き疲れる。

こういう人を救いたい。
そのためにnoteを立ち上げたようなもの。

ちなみに誤解のないように言っておくが、僕は天才でも秀才でも凡人でもない。
ただの変人だ。

変人には変人なりにできることがある。

それが自分の経験談を語ること。
これが『いま私にできること』の答えになる。

そして、ありがたいことに僕の経験談は「おもしろい」と言ってくれる人が一定数いる。

僕は彼らのために発信しつづける。

最後まで読んでくれて、ありがとうございました!

ここから続きはないが、心優しい方はポイッと投げ銭してくれるとすごく嬉しい。

最後に一言...

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アンチども見てるかあああああ!?!?wwwww

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