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連勤日記119日目 伏線回収

9月3日(火)最近自覚した事とかを書き出したらもう日記ではないのだが、本を読んだり映画やドラマを見てる時に濡れ場のシーンになるとひと呼吸置いてしまう癖がある。恥ずかしいのでその道の人に分析されたくない。

はっきり男女のまぐわいじゃなくても、ただイチャイチャしているだけでそんな症状が出る。映画アルマゲドン(1998)の動物ビスケットのくだりが大嫌いだと同じ人に何度か打ち明け苦笑いされたことがある。

昨日の晩、寝る前に丸谷才一の笹まくら( 河出書房新社:1966)を読み始めた。1章目の終盤に夫婦の営みが始まり一旦私も寝ることにしたが、今朝続きを読んで驚いた。あそこで区切らなければ寝るのに苦労しただろう。

男のよくあるようで無いような半日を描きながら、やや特殊で含みのある男の過去を本人に回想させる。淡々としてるが読み進めてしまう書き口で日常系の物語だとあたりをつけていたら夫婦の営みが始まる。

妻が他意もなくつぶやいた一言で男は今日自分がした選択が、過去のあるトラウマを鍵としてひとつながりになっていることに気づく。そこで読んでる側にもこの物語の重要なファクター、そのトラウマが明示される。

男の体は萎えてしまう。妻の献身も、やがて妻が拗ねてしまうのも私が嫌いなゾーンではあるが、見事な伏線回収に感嘆した結果、何か意図があるのではと思い読み進めてしまう。これだから文豪は。

自動車工場の終業間際、今やっているチェック作業で最近なにか引っかかったか聞かれた。私をこの作業から外していいものか勘案してるのだと思う。かれこれ3日はこんな感じでじらされている。その伏線いつ回収するの。


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