人類究極のツールであるSNSと自由について
けったいなタイトルかもしれませんが、私にとって、このSNSと自由って、結構つながるのです。(読み返してみると、イマイチかもなぁ(^^;)
SNSは人類究極のツールでは?
人間が、自分の気持ちを認識できるということは、突き詰めて考えると、その気持ちを伝えたいという承認欲求となる、と考えることが出来る。
その前提に立つと、(さまざまな社会的な制約はあるにしろ)自分の思いを自分の言葉で、世界中に発信できるSNSは究極のツールであると言える。
いいねの数に期待するかどうかは、ストレングスファインダー好きとしては、資質次第だなとは思うけど、この「自分の気持ちを知ってもらいたい」という欲求は、すべての人にある欲求であると言ってもいいのではないか?という気がしている。
この本が参考になるのかなぁ。まだ読み切ってないけど(^^;
人間の可塑性と自由について
人間の可塑性を考えると、自由は、人間の潜在的な可能性を最大限引き出すためには、必須の条件と呼んでいいとは思ってる。
ただ、潜在的な可能性を最大限引き出すべきなのか?ということについては、別問題かな、とも感じている。
この自由という貴重ではあるけども、めんどくさいものと、どう付き合うのか?というのは大きな課題なのかも。
覚え書きとして残しておくもの
脈絡、あまりなさそうなのですが、覚え書きとして残しておきます。
この通りに整理すると、
人間の本質についての理念:
(深い意味での)承認欲求がある
人間の存在の目的についての理念:
(求められるものにしても)創造をしようとする
人間の本質と存在の目的についての理念、すなわち人間観が、社会の性格を定め、個人と社会の基本的な関係を定める、ふむ。。
団塊Jr。エンジニアを生業としつつ、経済学→経営学→心理学へと関心が移ってきた変な人。ついに退職し、「知識志本主義社会」へ旅立つ。夢(妄想?)は、アダムスミスやドラッガーのように結果として新たな学問領域を打ち立てること。SF:戦略性/学習欲/内省/慎重さ/着想