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豊かな社会と貧しい社会
考察を深めてみると、案外、発見があった、という感じ。(この記事を書くまでは、一節目までの途中までしか考えてなかった。)相変わらず、quick & dirty な記事ですが、ご容赦ください。(ちょっとアレンジしてみました@2021/5/9 12:21)
豊かな社会と貧しい社会を極端に考えてみる
豊かな社会
生産性が高く、極端に考えると、すべてのものが自動的に生産される社会。(あれ、でも、貨幣はどうやって手に入れる?)
貧しい社会
生産性が低く、極端に考えると、生産されるものが全くなく、貨幣があってもモノが手に入らない社会。(ハイパーインフレの社会?)
実際の社会
雑な話だけど、実際の社会は、この間のどこかにある、という気がしている。
今の先進国は?
豊かな社会だと思う
今の先進国は押しなべて、デフレ(供給能力>需要)であり、豊かな社会寄り、と言えそう。その上、GAFAのような「生産性の高い企業」が存在し、所得(貨幣の配分)が偏っている状態。この考察を進めると、豊かな社会のはずなのに、「生産性の高い企業」に勤められない人たちは、貨幣が手に入りにくく、その恩恵を受けにくい、ということになってしまう。(書きながら、韓国社会って、こうなっているかも?などと思ってしまった。。)
お金を配った方がいいかも
この考察に基づくと、貨幣を配った方が良く、配り過ぎかどうかは、インフレ率を観察しておけば分かるのではないか?という気がする。もちろん、再配分でもいいとは思うけど、「豊かな社会」の前提を考えると、単純に「配る」方がいいような気がする。(これは主観に過ぎないかな(^^;)
日本における、食料品の物価についてのささやかな気づき?
また、実際問題、デフレにもかかわらず、(以下に呟いているような)食料品の物価は継続的に上がっているという事象も、何か説明がつきそうな気がしつつある。
nyunさんも指摘してたけど、これが印象的。。 https://t.co/hzQVPQdnNX pic.twitter.com/T7AgXcb2Py
— 廣澤知也 (@hirosawatomoya) April 29, 2021
それぞれの社会における仕事の意味
貧しい社会では
「仕事」をすれば何らかの生産に寄与するため、お金のために働くと言いつつも、なにか「生産的な」ことにつながる実感は持ちやすい。貧しいけど、案外幸せなのかも。
豊かな社会では
「仕事」をしても、「生産的な」何かにつながる実感は得るのが難しい、てか、このお話の上では、つながらない。貨幣を得るための記号のような仕事に従事することになる。これはなかなかキツイ。
(ブルシットジョブって、こういうメカニズムで生まれているのでは?と私なぞは思ってしまう。この本、まだ、ロクに読んでないけど(^^;)
私の観点に立つと、以下のツィートで引用されている呟きも、さもありなん、という感じになる。(この呟き自体を批判するつもりはありませぬ。)
>31歳OL、本当に心から楽しくて本気で打ち込めるものがなくて詰んでる。
— くまきち(なんだこれ) (@kumakuma072119) May 8, 2021
>そして仕事がまじで生きていく手段でしかないのも追い討ちをかけている。
まず前提に「人生はキラキラして充実したもの」「仕事は生きていく糧ではなく自己実現のため」みたいな前提がないと出てこないよねこれ
では、私は今どうしてる?
とは言え、私なんぞは、GAFAのような「生産性の高い企業」に勤めていないけど、それなりに幸せ。ただ、会社人時代の蓄えがあるのが大きいので、解にはならないか、というところ。
PERMAを満たすような何かを見つけるしかないかなぁ、とは思う。(以下の図は、イシューからちとずれるけど、ご参考まで。)
豊かゆえに平均所得以下でもいいのでは?
ただ、以下のエントリで、ローカルなスモールビジネスでも、それなりの所得を得ることができて、幸せには生きていけるのでは?という、さわりを書いたつもり。
エリートサラリーマンになれなかったら、チキン屋、という韓国に近いのかもなぁ。。(韓国はホンマにそうなんかいな、と思いつつ。)
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