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憧れの高等遊民

 こんにちは。銀野塔です。
 春なので、譫言戯言のような自分語り長文記事書きます。

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 南野薔子という筆名で五行歌を書いていて、その名前で栢瑚五行歌部(仮)というグループの一員として活動をしている。そこで出した『栢瑚其ノ壱』という冊子には、メンバーのQ&Aが掲載されており、その中の一問が「子どもの頃の夢はなんでしたか」である。
 それに対する私の回答が下記だ。
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夢のない子どもだった。しいて云えば小学校に入る前「中学校までは行かなければならないことに法律で決まっているらしいが、それが終わったら学校なんて行かないで家にいるんだ」と思っていたのだがこれは夢とはいえないだろう。
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 なんともはやな感じなんだけれど事実なんだから仕方ない。
 それ以降も、あんまり具体的に「○○になりたい」と思ったことがなかった。書くことが好きだったから「作家になりたい」とか「詩人になりたい」とか思わないでもなかったが、しかしそれに向けて例えばせっせと執筆投稿に励むとか、何らかの教室や同人誌に所属して研鑽するとか、具体的な行動を起こそうと思ったことがないし、自分が現実にそういうものになれるという感覚も持ったことがない。それ以外でもとにかく「○○になりたい」としっかり思った記憶がないし「○○ならなれる」とも思ったことがない。職業としてもだが、たとえばお嫁さんになる、という明確な意志も持ったことがない。
 そんな私は云ってみればなりゆきで進学先を決め行き当たりばったりに就活をしたため、就活そのものも(バブル期だったにもかかわらず)苦戦したが、会社員生活というのもダメだった。仕事そのものは嫌いではなかったのだが、会社員としての自分というのがどうにもダメなところがあって、数年で辞めることになる。その後若干の紆余曲折あって大学院に行くのだが、それも学問がしたいとか学問の道でならやって行けるという確信があったのではなく「まあひょっとしたらこっち方向ならなんとかなるかも……」くらいの感じであった。とはいえ、大学院での研究生活自体はそこそこ順調であり、それなりの年数で博士課程まで修了はできた。が、非常勤講師を始めた時に問題が起きた。やってるうちにどうしても体調を崩すのである。数学期務めたが、体調を崩さなかった学期は一度もなく、その体調の崩し方もあるときひどくなったのでもうその道はあきらめることにした。その後は、大学院時代の人脈経由で得た非正規の仕事などを細々とやりながら今に至る。
 そんな私がいつからか憧れているのが高等遊民である。いつからかは憶えていないが、某ドラマで「高等遊民」という言葉が注目されたとき「なんだよ私は時代を先取りしていたのかよ」と思ったから、それよりは前だ。
 高等遊民。高等教育を受けていながら経済的に不自由がないため、好きなことをして暮らす人。
 ああなんて素敵な身分なんだろう。
 高等教育を受けているってとこまではドンピシャなんだけどねー、経済的に不自由がない、のところがどうにもこうにも(たまになぜか、私のことをセレブとかお嬢とか勘違いする方がいるのだが、そうではないことを断言しておく)。多分、高等遊民の高等には、高等教育を受けているってことだけじゃなく、経済的な身分が高等であるという意味も含まれてるよね。

 多分、私は何らかの「役割」を持つのが苦手なのだ。たとえばそれなりの職業につくと、そこでの役割というのが明確にできるし、その職業なりの価値観や倫理なども身につけることになる。職業じゃなくても、たとえば妻とか母とかいう役割だってそうだ。
 そしてそれらの役割を得て、それらしく振る舞うことで人は大人になるものなのだろうとも思う。責任とか、現実の中でいろいろ対処する能力とかが人を成長させる。それなりの価値観や倫理などがその人の個性の、少なくとも一部を形成して、大人としてのふさわしいあり方をもたらす。
 だから、そういうものを引き受けようとしない私は、精神的にいつまでたっても子どもなんだろう。自覚はある。
 でもなぜか、自分の持つ肩書きとか役割のようなものはできるだけ少なくしたいという欲求がある。自分を規定するものの数を減らしたいというか。職業なり立場なりの価値観などにできるだけ染まらない自分でいたいというか。
 という「自由でありたい」みたいな欲求もあるし、一方で「小心者なので責任を引き受けられない」というところもある。責任怖い。自分が「この範囲なら責任持ってちゃんとやれると思う」と思える範囲がものすごく狭い。「縛られたくない」と「責任怖い」の両方があいまって、なんとも中途半端な生き方をする人間に仕上がってしまった。
 今の仕事には、もちろん責任感を持ってきちんとやっている。ただ、ありがたいことに、それなりに自分でできると思えることで、その責任さえ果たしていれば、私がどういう人間かはあまり問われないような仕事だ。この職業だからこういう価値観を職業上は持ってないとまずいとかそういうのないし、職業によってはそれにふさわしい人格さえ期待されると思うけれど、たとえば先生とか、そういうのがないのが本当にありがたい。私が非常勤講師がダメだった理由は多分いろんなことが複雑に絡んでるけれど「自分みたいな人間が『先生』っていう立場なのは違う気がする」という圧倒的な自信のなさみたいなものがあったのも確かである。

 うろ覚えで書くが、若い頃に読んだ雑誌の中で、片岡義男氏が「なぜ小説家になったのか」みたいな問いに「僕は何にもなりたくなかったのです。何にもならないことに一番近いのが小説家です」みたいなことを答えていた。当時の私は片岡氏が何を云っているのかわからなかった。「小説家」ってものすごく「何者かである」感じがしたから。でもいつしかわかるようになった気がした。小説家って、本質的には、どういう人であるかは問われない(昨今のメディアの中で実際にそうであるかは別として)。ただ書くものが、何らかの価値があるものであればいい。そういう意味では自由な職業だ。もちろん、それを職業とする時点で、なかなか思うに任せないところはあるに違いないけれど、でもその本質において自由度が高いことは、確かだ。
 そういう意味で、詩人はさらに自由度が高いよね、と詩歌を書いている私は思った。ただ、自由度は高いけれど、職業としてはほぼ成立しない……商業的に流通している出版物から原稿の依頼が来る、というところに至るのでさえかなり至難の業だ。
 でもまあ、職業になろうとなるまいと、詩人って「こういう人でなければならない」という縛りはおそらく小説家以上にないよね(世間が勝手に詩人とはこういうものという期待を持つのは別として)。

 それなりの職業や身分(たとえば妻とか母とか)を持っているということは、役割や、その職業なりの価値観に縛られて不自由だなあと感じる一方で、それを持っていることで、社会の中で一定の立場があるという安定感、安心感はあるよね、とも思う。それは正直うらやましい。自分が中途半端な立場にいると、そういう安心感安定感がないことは結構しんどいなと思うことも事実である。一匹狼的な強さがあればよかったけれどそれもない中途半端な私。

 いいなあ、高等遊民。
 とか、ふざけたことを云ってないでもっとしっかり働いて大人らしい役割を果たせ、っていう世間様の声は直接云われなくてもずっと前から私の頭の中にがんがん鳴り響いているけれど。

 でも、いいなあ、高等遊民。
 どこかから、一生暮らしに困らないだけのお金が降ってこないだろうか。
 だけれど、万一降ってきたところで、やはり小心者の私は「こんな私みたいな人間が働かずに暮らせるお金があるって申し訳ない」とか思って萎縮してしまいそうではある。
 まあ、現在、稼ぎは少ないけれど、自分としての自由度は高くて、仕事が比較的少ない時期は結構好きなこと(非生産的なことばかりだが)もできて、そういう意味では高等でなくとも遊民的な生活を送らせてもらっているとも云える。あと、数年前からほぼ在宅ワーカーなので、最初に書いた「うちにいる」という子どもの頃の夢とも云えない夢は、ある意味叶っている。そして「明確な役割を持たないまま年齢を重ねた人」というのが自分の「役割」だと思えばいいやという変な開き直りも出てきた。なんでそんなに役割を持ちたくないんだろうという自分の心理について思うところもあるがそれについて語り出すとこの記事が終わらなくなるのでやめておこう。
 そういえば、その子どもの頃の夢についてのQ&Aを書いた後で思い出したのだが、ごく幼い頃は「お姫様になりたい」って思ってたことはあった。王子様と結婚したいとかじゃなくて、なんか綺麗なドレスとか着られていいなあという感じ。まあそれは実質的にその後の「高等遊民になりたい」と同列にあるような気が、今はしている。

 ところで、高等遊民という言葉から連想されるのは、通常は男性ではないだろうか。それは多分、男性の方が、通常は職業を持っている確率が高いというような通念のため、あとこの言葉が実質的に使われていた明治から昭和初期にかけてというのは高等教育を受けた女性の絶対数が少なかったということもあるだろう。
 この言葉が、実質的な意味にせよ揶揄的にせよ今後残っていくのかどうかはわからないけれど、いずれにせよ今後はジェンダーは関係ない言葉になってゆくといいなあ、と女性で高等遊民に憧れている私は思うのだった。

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