誰のことも否定しないために

今後色んな人間と関わっていき、時にはその生き方を否定し、また、否定されて生きていく。

誰もそれを望んでいなくとも、これまでの人生がそうだった。そして、これからがそうでないという兆しは何一つない。

とはいえ、自分にとって必要なのはそれではない。願うことならば、誰しもの人生が平等に肯定され、それで誰も傷つかない世界であればいい。

それを自分自身に教育するための痛みを、どこか別の可能性に存在した自分が辻褄を合わせるように今の自分に与えているのだと思う。


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