世界は語られない

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福島で自殺しようとしたら警察に捕まって全身拘束されて医療保護入院させられた話

絶望すぎる とりあえず今は拘束は外れたがなんかもう、色々ダメなのでゲロってしまう 上蓬莱橋は自殺の名所らしいので飛んでみようとして色々やってたら警察きちゃった。前も似たようなことしてたから今度は独房みたいなとこに打ち込まれてそのまま6時間後くらいに市中の精神病棟にゴー 実際どれくらい死にそうだったかというと、「あ、これはその気にさえなればもう絶対いけるわ」くらいのとこまでは行った。今までは「流石にここの柵超えるの俺には無理かもしれん」みたいなのがあったけど今回はそれを

    • 誰のことも否定しないために

      今後色んな人間と関わっていき、時にはその生き方を否定し、また、否定されて生きていく。 誰もそれを望んでいなくとも、これまでの人生がそうだった。そして、これからがそうでないという兆しは何一つない。 とはいえ、自分にとって必要なのはそれではない。願うことならば、誰しもの人生が平等に肯定され、それで誰も傷つかない世界であればいい。 それを自分自身に教育するための痛みを、どこか別の可能性に存在した自分が辻褄を合わせるように今の自分に与えているのだと思う。

      • 「文句を言うな」は建設的か?

        最近友人から「他人の課題に口を出すな」と狂ったように言われるのだが、そっくりそのまま「俺の課題に口を出すな」と言って流している。 そもそも何を言ってるのかわからないのが普通のことだと思うが、友人曰く、人生で出会う課題には「自分の課題」と「他人の課題」とがあって、自分の課題は明日どうするだとか、自分の裁量で決められるもの。他人の課題は職場の雰囲気が悪いとか、誰々の振る舞いが悪いとか、そういう、自分の裁量で決められないもの。 そういう他人の課題に思い悩む暇があったら、自分の課

        • 2回目の病気

          なかなかだ。 大学受験の時に腹の病気になって、マジで将来の先行きがわからなくなって苦しさに混乱がないまぜになって半分発狂していたのだが、現在そっくりそのまま同じ感覚がしている。 その、全く同じ感覚というところにだけは安心をしている。ああ、俺は今また病気になって苦しんでいるんだな、と一歩引いたところから客観的に自分を分析できる。 人生で初めて喜びを知った生き物は、それを喜びと認識できずに喜ぶと思うのだが、二回目にようやく、「これはあの時と同じ感覚だ」と認識して、その感情に

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          現在のポケモン(育成の簡略化とざっくりした対戦環境)

          風呂場でスイッチごと落として全部のデータが消えて以降、全くやる気が起こらなかったポケモン剣盾だが、最新のダウンロードコンテンツによって対戦環境がガラッと変わり、むしろ今までの積み重ねが必要無くなった。ので、また一からストーリーをクリアして復帰してみた。 現在の環境は準伝説地獄でかつてのガラル地方の面影は一部を除いて消え去ったのだが、それよりも重要なのは旧・新日付変更バグと呼ばれるものによる育成の異常な簡略化で、今となっては6vメタモンもシンクロ要因もキョダイニャースも必要な

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          こだわりの強いデジタル勉強

          デジタル勉強をしていると、いくつかの工夫で効率、もとい勉強自体へのモチベーション維持の具合が大きく変わることに気付くのだが、かなり自分自身が苦労して試行錯誤する中で、自分にとっては間違いなく重要でありそうないくつかの事柄を見出すことに成功した。諸論あり、そもそも僕ぐらいデジタル勉強に向いていなかった学生もいなかったのだろうと思うが、そういうマイノリティが諦めずに勉強を続けられるために、というか自分自身の覚書としていくつか書いていく。 1 画面は黒 当たり前だが、紙の媒体の

          こだわりの強いデジタル勉強