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哀傷の桜。の第百九首

第百九首
墨染の桜も幾年いくとせ咲き巡り
いまは薄紅深草の枝
─── 音無桜花

2024.04.03.


昨日は京都伏見へと出かけました。

今年は他のタイミングでお花見できそうになく、観光地の散策を兼ねてのお花見です。
満開手前の開花状況でしたが、好天に恵まれて情緒あるお花見日和になりました。

十石舟が行き交う堀割や酒蔵が建ち並ぶスポットの散策とあわせて、目的地のひとつとしたのが墨染寺です。

別名「桜寺」の名を持つこのお寺は、次のような伝説と古今集に採られた和歌で知られています。

─── 平安のころ、太政大臣・藤原基経の死を悼んだ上野岑雄が「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、境内にある桜が墨染(薄墨)色の花を咲かせた。


和歌を知っていたパートナーが由来を教えてくれて、行ってみよう!となりました。
桜のシーズンをむかえた墨染寺は、境内に咲く桜の美しさはもちろん、本堂に掲げてある『桜寺』の扁額も印象深かったです。


現在、境内にある墨染桜は四代目。
桜としてはまだまだ低木で若々しさを感じます。
和歌が詠まれた時代からはお寺の場所も移されているのだとか。

残念ながら開花には早くて墨染桜の姿を見る事は叶いませんでしたが、伝説のように墨染には咲かず、普通に桜色の愛らしく美しい花をつけるそうです。

今日の一首は、上野岑雄の哀しみと傷みが晴れたかのような現在の花の姿を思って詠みました。

写真は墨染桜の花が撮影できなかったので、堀割沿いの桜の写真でご容赦下さいませ。


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