【気まぐれエッセイ】金輪際、転んでもタダでは起きない!
私は幼い頃から文章を書くことが好きだった。
小学生の頃、クラスやクラブでやる演劇の台本は大体私が書いていたし、小学3年生の頃に書いた作文と、中学1年生の頃に書いた作文が選ばれ市民会館で発表したこともある。あ、あと高校生の頃書いた小説で、賞をもらったことも。
書くことは得意だ。
書きたい、とあまり強く思っていなかったからこそ、私はこう自負していた。
だけど大人になってから応募した小説三作はかすりもせず、さらに書く仕事を始めてからは自分が思っていたほど文才なんてないことも十分すぎるほど思い知った。
私は自分が思っているよりずっと普通で、考え過ぎるのが悪い癖だとすら思ってきた頭はわりと空っぽで何も詰まっていないことも、嫌と言うほど実感した。
でも思うのだ。
じゃあ、書かないのなら、語らないのなら、何のために、私はこれまで傷付いてきたのって。震えるくらいの怒りを、強烈な羞恥心を、何のために、感じてきたのかって。
成長のため、と言えば聞こえはいいけれど、そんな修行僧のような目的のためだけに私は散々泣いてきたわけじゃない。
こんな風に言ってしまえば、私は何よりも書くことが好きな人、書くことを、少なくとも自分では使命だと掲げる人のように思われるかもしれないが、そういうわけでもない。
私にとって間違いなく1番大切なものは、ただただ、幸せな時間。家族や彼と過ごす時間。素敵な服や靴に心を躍らせる時間。美味しいお酒と美味しい食事を楽しむ時間。仕事をやり切った夜、暗い部屋の中でビールを飲みながら、物語の世界に浸る時間。
書くことはいわば、人生を幸せな時間で埋め尽くしたい強欲な私にとって、不幸を無駄にしないための手段だ。
泣きわめいても、怒り狂っても「ネタになる」と思えば、意味があると思えるじゃない。
そしていつしかそれが大金になることを、私は切に願っている。だってそれでまた私は、幸せな時間に色付けできるのだから。
恥も、怒りも、悲しみも、全ての不幸を、私はネタにして生きてやろう。
人に聞かせるにはつまらなすぎるような、些細で、平凡で、とても幸福な日々のために。
私はもう金輪際、転んでもタダでは起きない。
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