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全力で生きて。どうせ愛にぶつかる。

みずみずしく、澄み渡った空。秋田。
眼下にはもちろん、一面の稲穂で眩しいきいろ。

その周りで声にならない部分となる部分のどちらも混じる音を発しながら、私はただ人に語りかける、そういう踊りをしています。

生きることの素晴らしさを味わい尽くしている人が世界にどれだけいるのだろうか。

私は11歳から26歳にわたる自分の人生ぜんぶをかけて

幸せになること
そして、

幸せとはなんなのか
を研究し続けている。

あれは中学2年生。突然、髪を切られるようないじめ。全校集会では大声で名前を呼ばれヤジが飛ぶ。

そういう状況の中で、見つけた幸せもありました。母との絆。踊り。

当時考えうる限りの生きる意義を見つけ、体現し切ること。それが強烈な喜びとなって

私は、私の意志で絶対に、卑怯者になりはしない、と誓って生きたあの日々。

それが幸せな記憶のひとつとなった。

時は過ぎて、私ももう26となりました。

今は、自分が当時思ったよりも卑怯者でままならず、ということも知っている。

見たくなかったけれど、見ないふりしたらわからない世界を見たくて、どんな自分も見てやりたかった。

ある時から私は、秋田の鎌鼬美術館で踊るようになりました。

そうしたら、それを日々見守ってくださる75歳の方が突然共に、踊り始めてくれた。

あらゆる制約に、支配される必要がなかったことをただ踊りだけで見出してくださった。

こういう踊りをしていると、自分が活き活きする世界観のままの考えが伸び縮みして対面する人との適切な形で出てくる。そういうことを見事に体現してくださったのだ。

私はこの方だけでなく、世界の人に語りかけられるようになってきたという体感がある。

それは、私が卑怯者だからだ。

どんな卑怯者のことも少しわかる部分があるもんでね。だから、よほど語りかけられる。
だって、でもこうして本気で生きるのは最高だよ、ねっ
って。

本気で生きたら、どんなに偏屈でも必ず愛にどこかでぶつかってしまうから

だから、どんなにひん曲がっててもいいから
今思うことに全力で生きたい。
皆さんに生きて欲しい。
そういう語りかけの中に生まれるダンス。

そういうことを、私は日々しています。
ひとりふたりと、私とその人の間に田植えするように踊り語っています。その人がまた田植えをするのです。

どうぞ、ここからが一番幸せタイムです!
ご想像ください。そういう人が10人に1人いる世界だったら世界はどう変わるのでしょうか。

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