かたりばLabで「キャスト」について考える
はやくも9月
帰省から戻り北九州にいます、ゴエです!
かたりばLabに行ってきたよ(9/1)
の話を今さらしていくわけなのですが
そういえばあんまりここではカタリバの話はしてなかったな~と思ったんでちょこっとだけカタリバについて話していくと
2001年に立ち上げられ約20年にもなるNPO団体で以前お会いした今村久美さんが代表理事をされています
事業としては「カタリ場」や「マイプロジェクト」などがあります
僕が参加している「カタリ場」は
高校生などの若者の自己肯定感の低さを問題視し
親や先生の縦の関係でも
友人などの横の関係でもない
大学生のような「ナナメの関係」による対話を重視しています
その対話のなかで自己理解を深めて自己肯定感を高め自分の将来について考えよう
といった授業を展開するものです
説明下手だからホームページみるか実際に参加してもらうかのほうが早いかな
っと思ったくらいで本題に入っていこう
まずかたりばLabってなんぞやってところなんですが
首都圏ではキャスト(ボランティアスタッフ的なの)があつまってよりよいカタリ場にするために話合いの場を設けているらしく
それを「福岡カタリバでもしようではないか!」
っというところで始まり、その第二回目でした
今回のテーマは「キャスト」 つまりは自分たちについて語り合うというわけです
議題はこう 「半学半教」について
カタリ場ではよく使うことばなのですが、生徒と話すなかで生徒から学ぶこともあれば生徒に教えるようなこともあるよね、という意味があるそうなのですが
それを踏まえて、
生徒から学ぶことってなにがある?
というテーマでお話しました
話の中では、学ぶことというよりかは気づくことが多いよね~
そういう考え方もあるし、そんな悩みを抱えているのかなど
高校生の生の声から気づきが生まれ、そこから考えさせられるという点では学ぶってことなのかなって思ったり
高校生と自分の高校時代を比較しても気づくことがあるし
色々なサンプリングのなかで学びを深めるという点ではキャスト側には多くの学びがあるなーと考えさせられました
対して、教えるという点では議論が過熱しまして
教えることっていいことなの?
というか教えるってなに?
みたいな話になり、キャストから教えられるようなことの前にそもそも論で花が咲きました
確かに短い2時間の生徒の対話の中でできることなんてのは限られてくる
その中で生徒の考えていることから導き出される最適解を教えるなんてのは不可能に近いから教えてはいけない、なんて意見もあれば
そもそも教えないといけないのか、対話の中でなにかその生徒にとっての気づきがあればいいんじゃんないの?
結局できることはきっかけづくりに過ぎないのだから、最適解を求めて間違った答えを出すくらいなら教えるに至らなくてもいいんじゃない?
と様々な意見が出てきた中で思うこととしては
選択肢の幅を狭めない範囲での教えることに関しては、生徒のためになる
倫理的観点とかそういう見方から外れなければ自由な選択ができるというようなことを伝えられればいいのかな~
なんてまとまらないなりにもまとめるとこんな感じかな
次の現場でもう少しここについて考えてみよう
p.s.
上で書いたことは主語がキャスト
つまりは、キャストにとっての学びと教授の話
これを逆転させて、
生徒にとっての学びと教授
ここを主眼において話してみる方が案外すんなりいくのかな~
なんて思いつつ、まあ今回のテーマはキャストだから
まあいっか、って話でした