メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第145号「心虚薬」概説、他処方─「虚労」章の通し読み ─
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
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第145号
○ 「心虚薬」概説、他処方
─「虚労」章の通し読み ─
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。別項目を読む予定でしたが予定がつかず、流れのまま
「心虚藥」の項をお届けします。まずは概説と、処方のひとつめです。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「心虚藥」 p448 上段・雜病篇 虚勞)
心虚藥
心虚血氣不足以成虚勞宜用天王補心丹加
味寧神丸加減鎭心丹淸心補血湯四方並見神門大
五補丸古庵心腎丸究原心腎丸
大五補丸
補虚勞不足能交濟水火天門冬麥門冬
石菖蒲茯神人參益智仁枸杞子地骨皮
遠志熟地黄各一兩右爲末蜜丸
梧子大酒飮任下五七十丸海藏
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
心虚藥
心虚血氣不足、以成虚勞、宜用天王補心丹、
加味寧神丸、加減鎭心丹、淸心補血湯、
四方並見神門、大五補丸、古庵心腎丸、
究原心腎丸。
大五補丸
補虚勞不足、能交濟水火。
天門冬、麥門冬、石菖蒲、茯神、人參、益智仁、
枸杞子、地骨皮、遠志、熟地黄各一兩。
右爲末、蜜丸梧子大、酒飮任下五七十丸。『海藏』
●語法・語(字)釈●(主要な、または難解な語(字)句の用法・意味)
宜(よろしク~べし)いわゆる漢文の再読文字。~するのがよい、
~するのが妥当である、道理や事情から判断して適当、適切である場合。
▲訓読▲(読み下し)
心虚藥
心虚血氣不足して、以て虚勞と成るは、宜しく天王補心丹、
加味寧神丸、加減鎭心丹、清心補血湯、
四方並に神門に見ゆ、大五補丸、古庵心腎丸、
究原心腎丸を用ゆべし。
大五補丸
虚勞不足を補ひて、能く水火を交濟す。
天門冬、麥門冬、石菖蒲、茯神、人參、益智仁、
枸杞子、地骨皮、遠志、熟地黄各一兩。
右末と爲し、蜜にて梧子の大に丸め、
酒飮にて任せ下すこと五七十丸。『海藏』
■現代語訳■
心虚薬(しんきょやく)
心虚により血気が不足し、虚労となる者には
天王補心丹、加味寧神丸、加減鎭心丹、清心補血湯、
(上記四処方は「神」の章参照)、
大五補丸、古庵心腎丸、究原心腎丸を用いるとよい。
大五補丸(だいごほがん)
虚労による不足を補い、水火を交濟させることができる。
天門冬、麦門冬、石菖蒲、茯神、人参、益智仁、
枸杞子、地骨皮、遠志、熟地黄各一両。
以上を粉末にし、蜜にて梧子の大に丸め、
酒にて五十から七十丸を服用する。『海藏』
★解説★
「陰陽倶虚用藥」の次は「心虚薬」つまり陰陽から五臓の虚の解説に移ったことになります。まずはこれまでと同じ体裁で、概説が初めにあってそこに処方の列挙があり、そこからそれらの具体的な処方解説、という流れです。
おもしろいことに、普通東洋医学で「五臓」と言ったらどんな順番に並べられるでしょうか?そう、「肝・心・脾・肺・腎」ですよね。
実際にこの東医宝鑑でも、内景篇の第三巻に五臓それぞれの独立した章がありますが、その順番も「五臓六腑」を筆頭として次から順に「肝・心・脾・肺・腎」となっています。
ところがここではこの順番ではなく、まず初めに「心臓」の「心」が来ていす。実はこれは既に読んだ「五勞證」でもそうなっていたのです。
五勞の證
五勞は、心勞は血損、肝勞は神損、脾勞は食損、
肺勞は氣損、腎勞は精損なり。『金匱』
ではなぜ「心」が一番に来ているのでしょうか?なぜ通常と順番を変えたのでしょうか?順番を変えた発想を支える背景になにがあるのでしょうか?何気なく読み過ごしてしまえばそれまでですが、こんな細かいところにも考察のポイントは隠されているという好例です。
内容ですが、「心虚薬」の項目で、先行の日本語訳本は冒頭こうなっています。「心虚、血気不足、虚労の症を治す。」これは正しい訳でしょうか?
この訳ですと、「心虚」と「血気不足」と「虚労」の3つが並列のように読めてしまいますね。この訳では、
、「心虚」or「血気不足」or「虚労」、
もしくは、
、「心虚」and「血気不足」and「虚労」
の症を治す。というふうに読めてしまいます。
ここは内容を吟味すればわかりますが、このように三者の関係は並列の症候ではなく、私の訳で書いたように、「心虚により血気が不足し、虚労」になった、
「心虚」→「血気不足」→「虚労」
という、因果関係の流れであるはずです。
先行訳の「心虚、血気不足、虚労の症を治す。」は、そこを押えないまま書かれた項目を単純に並べてしまっただけの訳で、これも誤訳とまではいきませんが、読者には因果関係がわかりにくい点で、限りなく誤訳に近い甘訳と言えそうです。
「神」にある4つを除いて初めの処方の「大五補丸」では「虚労による不
足を補い、水火を交濟させる」と「水火を交濟させる」を読み下しに近いままの直訳にしておきました。
この「濟」は今まで何度か出てきて解説もしましたが、例えば「虚勞治法」にこんな文がありました。
虚損は皆水火の不濟に因(よ)る、火降るときは則ち血脉和暢し、
水升るときは則ち精神充滿す。
但だ心腎を調和するを以て主と爲し、兼て脾胃を補するときは則ち
飮食進みて精神氣血自(おのずか)ら生ず。『入門』
(虚損は全て水火が濟(とお)らないことに起因し、
火が降れば血脈は和暢し、水が昇れば精神が充満する。
先ず心腎を調和することを主として、兼ねて脾胃を補すれば、
食欲を増し、精神気血全て自然に調うのである。『入門』)
今号の大五補丸はこれを受けて、「水火を濟(とお)らせる処方」ということです。変に訳語を充ててしまうと、この因果関係がわかりにくくなりますので、前後全体の調和という点にも鑑みて、このように元の表現を尊重した訳にしています。
ちなみに先行訳は「虚労の不足を補う。」とだけ記して、この後半の「能交濟水火(能く水火を交濟す・水火を交濟させることができる)」を完全に抹殺、なかったことにしてしまっています。
ここは訓読で見るとわかりやすいですが、「虚勞不足を補ひて、能く水火を交濟す。」で、前後がこれも因果関係になっています。「虚勞不足」なら他の「虚勞」でも同じことで、ここでは「心虚薬」なのですから、むしろ主眼は後半の「水火を交濟させる」、つまり上の「虚勞治法」の解説と照らし合わせれば、「水火を交濟させ、心腎を調和する」で、これがあってはじめて「心虚の薬」とわかる事項なのですから、これがないと単なる虚勞の薬ということで心虚薬という事項がなくなってしまい、さらに上の引用「虚勞治法」との関連もわからなくなってしまいます。
というより、前にも書いたように先行訳は「虚勞治法」はじめ解説項目も全て削っているので関連も何も対応の「虚勞治法」の項目さえない、というゆゆしき事態です。これもやはり削ったら意味をなさないところで絶対に削ってはいけない部分でしょう。訳をお持ちの方は補完してくださればと思います。
もうひとつ余談ですが、「虚労による不足を補い」の「不足」は原文には何の不足なのか書いていず、訳でもそこを補っていませんが、これは何の不足でしょうか?先行訳はおそらく補足するかしないかを吟味した上での訳ではないと思いますが、私の訳は吟味した上で補っていないという、見た目は似ていても中身が全く違います(笑)。これも何の不足なのか、ご検討くださればと思います。
◆ 編集後記
別項目を読むつもりでしたが執筆が時間的に間に合わず、配信を空けてしまうよりはと、今までのデータの蓄積があり、より少ない労力で書ける、前かの流れの続きをお届けすることにしました。と言っても解説に力が入ってしまい文章はいつも通りに長くなってしまいました。
いつも先行訳を引き合いにしていますが、これはいつも書きますように学恩に報いるためで、また普通に解説するより、誤りを例にすると解説がわかりやすいのですね。どこがどう違うのか、を考えることでより深い考察ができるからです。何事でもそうですよね。成功例よりも失敗例に学ぶことの方が多く大きいのです。
と、筆が滑って先行訳を「失敗例」にたとえてしまいましたが(笑)、当時の状況を考えれば必ずしも失敗とは言えず、各方面の最大限の努力の賜物であったでしょう。ただ現在はそれを超える時代、時期に来ているということですね。そこにこのメルマガの意義のひとつがあると考えています。
おっと、短くするつもりが編集後記まで長くなっちゃった(笑)。
次号は引き続き心虚薬の処方解説の予定です。別項目はもう少し温めつつ、折を見てお届けしたいと思います。
(2015.10.31.第145号)
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
発行者 東医宝鑑.com touyihoukan@gmail.com
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