メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん―古典から東洋医学を学ぶ―』第159号「陰煉秋石法」─「虚労」章の通し読み ─ 番外号

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  第159号

    ○ 「陰煉秋石法」
      ─「虚労」章の通し読み ─ 番外号

           ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説 
      ◆ 編集後記

           

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 こんにちは。今回は「虚勞」の章から離れますが、前号部分に登場した
 「陰煉秋石丹」の具体的な製法が解説された、「雜方」の章の
 「陰煉秋石法」の項を読みます。本文の趣旨からすればこれが本来の読み方と言えます。

 前号部分で「竹器が損じたら竹で補い、金器が損じたら金器で補うように、人が損じたら人で補う」と言われていた秘密がついに明らかに!(笑)


 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)


 (「陰煉秋石法」 p600 上段・雜病篇 雜方)


 陰煉秋石法

人尿多聚置大盆中以新水相和攪轉
百匝放令澄清辟去清水只留濁脚又
  以新水同攪水多爲妙又傾去清水如此十餘次
  直候無臭氣水香爲止鋪厚紙於篩内傾在紙上
  瀝去清水晒乾爲末以初男乳汁和〓如膏烈日(〓均の右)
  中暴乾如此九度色如紛白盖假太陽氣也謂之
  陰煉秋石能滋陰降火入門


 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)


 陰煉秋石法

  人尿、多聚置大盆中、以新水相和、攪轉百匝、

  放令澄清、辟去清水、只留濁脚、又以新水同攪、

  水多爲妙、又傾去清水、如此十餘次、直候無臭氣、

  水香爲止、鋪厚紙於篩内、傾在紙上、瀝去清水、

  晒乾爲末、以初男乳汁和〓(均の右)如膏、烈日中暴乾、

  如此九度、色如紛白。

  盖假太陽氣也、謂之陰煉秋石、能滋陰降火。『入門』


 ●語法・語(字)釈●(主要な、または難解な語(字)句の用法・意味)


 語法

在 ~に。場所や時間、範囲を示す。「於」に用法に近い

  爲(原文4行目・爲止の部分)すなはち、であれば
    条件を表す「則」の用法と同じ


 語釈

  匝(ソウ)量詞・周囲を廻ったり囲ったりする数を数えることば

  脚(キャク)残りかす

爲妙(妙と爲す)~のほうがよい


 ▲訓読▲(読み下し)


 陰煉秋石法(いんれんしゅうせきほう)

  人尿(じんにょう)多(おお)く大盆中(だいぼんちゅう)に

  聚置(あつめお)き、新水(しんすい)を以(もっ)て相和(あいわ)し、

  攪(か)き轉(てん)ずること百匝(ひゃくそう)、

  放(お)きて澄清(ちょうせい)せしめ、

  清水(せいすい)を辟(のぞ)き去(さ)り、

  只(た)だ濁脚(だくきゃく)を留(とど)め、

  又(また)新水(しんすい)を以(もっ)て同(おな)じく攪(か)き、

  水(みず)多(おお)きを妙(みょう)と爲(な)す、

  又(また)清水(せいすい)を傾(かたむ)け去(さ)り、

  此(かく)の如(ごと)く十餘次(じゅうよょじ)、

  直(た)だ臭氣(しゅうき)無(な)く、

  水香(みずかお)るを候(うかが)ひ爲(すなは)ち止(や)め、

  厚(あつ)き紙(かみ)を篩内(しない)に鋪(し)き、

  傾(かたむ)て紙上(しじょう)に

清水(せいすい)を瀝去(れききょ)し、

  晒乾(さいかん)して末(まつ)と爲(な)し、


  初男(しょなん)乳汁(ちちしる)を以(もっ)て

  和(わ)し〓(均の右)(ととの)へること膏(こう)の如(ごと)く、

  烈日(れつじつ)の中(なか)に暴(さら)し乾(かわか)す、

  此(かく)の如(ごと)く九度(きゅうど)、

  色(いろ)紛(おしろい)の如(ごと)く白(しろ)し。

  盖(けだ)し太陽(たいよう)の氣(き)を假(か)るなり、

  これを陰煉秋石(いんれんしゅうせき)と謂(い)ひ、

  能(よ)く陰(いん)を滋(うるほ)し

  火(ひ)を降(おろ)す。『入門(にゅうもん)』


 ■現代語訳■


 陰煉秋石法(いんれんしゅうせきほう)

  人尿を大きな器に多量に集めておいたものに、

  新水を注ぎ百回かき混ぜる。

  しばらく放置した後上澄みは捨て、底の濁った部分を残す。

  再び新水を入れ同様にかき混ぜる。水は多いほうがよい。

  同様に上澄みを捨てることを十余回繰り返す。

  尿の臭気が消え、水の香りのみになった頃を見計らって止め、

  厚紙を篩に敷き、その上に水を流して水は捨て、

  乾燥させて粉末とする。

  初産で男児を産んだ女性の乳に混ぜて均し、膏状に調え、

  強い日差しの下に晒して乾燥させる。

  これを九度繰り返せば色が白粉(おしろい)のようになる。

  これは太陽の気を受けたためで、これを陰煉秋石と呼び、

  陰を滋して火を降す効を有する。『入門』

 
 ★解説★
 
 前号の「陰煉秋石丹」の具体的な製法解説です。これは前号部分に「製法詳見雜方(製法の詳細は雑方参照)」とあったもので、その参照先の雜方の章から引用しています。

 前号では「竹器が損じたら竹で補い、金器が損じたら金器で補うように、人が損じたら人で補う」と一見謎のような言葉があったのですが、これを読めば何をもって「人が損じたら人で補う」と言っているのか明白ですね。人尿と母乳、つまり人の尿と人の乳、どちらも人由来の材料を用いて薬とするために、人で人を補う、と言っていたことがわかります。

 久しぶりに語法や語釈欄に少し解説を書きましたが、文章はなかなか読みにくいものです。実は漢字だけ眺めていると大概の意味はわかりさほど難しい内容ではないのですが、細かく訓読し、詳細に正確に読むのが難しい文です。

 江戸期に発行された『訂正 東醫寶鑑』を見ても、送り仮名がない部分が多く、編者さんが訓をどうつけてよいか迷い詳細な訓をつけるのを見合わせてしまったのかもしれません。

 現在の日本語の漢字感覚では「在」は「ある」、「爲(為)」は「なす」と読みたくなってしまいますが、これらは上に書いたような用法と考えられ、こう読むことで文章が繋がります。

 また「水多爲妙」なども難しく、訓は「水(みず)多(おお)きを妙(みょう)と爲(な)す」で良いと思いますが、意味はどうでしょうか?水が多いと妙なのでしょうか?何が妙なのでしょうか??

 これも現在の日本語感覚では読みにくいですね。面白いことに日本最大の大修館の大漢和はじめ私の手元の漢和辞典にはこの語の意味がありませんでした。いつも取り上げる省略が多い先行訳にこれがないのはいつものこととして不思議ではありませんが(?)、手持ちのハングル訳本もこの部分をスルーしており、韓国の訳者さん方もこの部分が読めなかったのかもしれません。

 これは語釈欄に書いたように「爲妙」で「~のほうがよい」という用法と考られます。これは現在の中国でも用いられる語で、現在の中国語辞典、中日辞典には普通に載っています。こう読むと訳に書いたように前後の意味もすんなり通じますよね。

 他にも細かく読むとなかなか難しくかつ味わい深い表現があり、ご興味おありの方は原文からの読解に挑戦してくださればと思います。私の訓が全て正しいとも限りませんのでその辺りからご検証くださればと思います。


 さて、ここに見たように陰煉秋石丹とは人尿・人乳を用いる薬であったというわけです。

 現代では様々な理由でなかなか普及の難しい薬とは思いますが、実は尿を飲む療法、いわゆる尿療法、飲尿療法は昔からあり、今でもやっている方がいらっしゃる療法なのですね。

 これもネットで検索すればすぐに情報が出ますが、出てすぐのおしっこを飲むのが基本的な方法で、実際に試して効果のほどを書いている情報も多くあります。

 中には臭いが気になって初めは飲めなかったなどと書かれている情報もあるのですが、この陰煉秋石法は臭いを消す作業をしており、さらに最終的な精華部分だけを残す作業までしていて、多大な手間のかかった非常に洗練された方法であることがわかります。

 もちろん、臭いを消す作業は単に不快な要素を除くというだけでなく、薬効に鑑みての作業でもあると思い、臭いの要素を消すことで薬効も高まるという考えや実際の効果を見ての作業であったことでしょう。

 
 母乳に関しても効用は昔から言われており、母乳で育った子供とそうでない子供との発育の違いの研究など今でもありますよね。

 そしてこの陰煉秋石法ではその人尿と人乳とを合せて精華とする作業をしています。

 漢方薬の構成や効果の肝は、生薬を組み合わせることによって生薬単体とは全く違った成分、作用の薬を作り出すところにありますが、この陰煉秋石法も人尿単体、また人乳単体でもなく、組み合わせたところに両者それぞれ単一の効用を超えた効用があるのかもしれず、先達はそこまで見極めての創薬、製薬であったと見てよいかもしれません。

 この処方などは材料が材料だけにおそらくまだ研究が進んでいず、未知の効用があって研究余地の多々ある処方ではと感じます。


 上に書いたように尿療法の情報などネット上に多くありますので、ご興味おありの方は、検索してお読みくださればと思います。

 尿療法などもそうでしょうが、そもそも一般的な視点からはある種キワモノ的なものは、人がよっぽど切羽詰まった状況にならない限り試されないものですよね。人がもう命の瀬戸際、というところまで来た時に、藁にもすがるように試みられるのがキワモノ的な療法なのですね。

 ですので尿を用いる尿療法やこの陰煉秋石丹などもあまり顧みられるものではないと思いますが、かといって過去の遺物や迷信として捨て去ってしまうには惜しい、研究の余地のある方法と思います。


 ◆ 編集後記

 昨日都合で配信が間に合わず、かと言って配信をお休みしたくなくできる時に配信したかったですので、一日遅れで本日配信いたしました。よっぽどのことが無い限り、週1配信のペースを守りたいと思っています。

 暦は昨日から啓蟄(けいちつ)に入りました。これは冬の間に冬眠していた虫達が穴から出てくる季節ということですね。

 実際の虫だけでなく、人の中のいろんな虫も蠢きだす頃で(?)、なんだか気が落ち着かなくなる季節でもあるような気がします。悪い虫は抑え、良い虫を大いに活動させて、何か新しいことを始めたり、生産的な方向に向かわせて活動したいところですね。
                    (2016.03.06.第159号)
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